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採血のところがあおじになっとるねえ

このGW、要・急で実家へ1年4か月ぶりに帰っていた。そこで思ったことがあり、メモしておく。

今回1週間以上、広島市内の大病院でお世話になったのだが、そこで飛び交う広島弁を聞いて、違和感でもぞもぞしっぱなしだった。

どういうことなんでしょう。
私は、広島弁・関西弁・標準語のトリリンガルなんですね(関西弁はエセ感満載ですが笑)。
そして、職場では標準語、後輩へのタメ語&プライベートでは関西弁、家族とだけ広島弁を話す(ということに気づいた)。
そのため、私の中では
標準語>関西弁>広島弁
の順にオフィシャル感があるらしい。
だから、広島弁という誰にも見せないところで使う感覚の言語 (当社比)を、病院というオフィシャルな場でぶち使っとることに違和感があったみたいだ。

そこから思い返してみれば、私、広島のオフィシャルな場にほとんどいたことない。
小学校までしかいなかったし、その後は実家に滞在したことしかない。
今回(実家は違う市ですが)広島市内で通勤してる人たちを見て「自転車通勤なんだ!」とかいちいちめちゃくちゃびっくりして、「広島」と「働く」が結びつくこと、今まで完全になかったんだと気づいた。

広島は、私にとって「自然・場所」と「家族」という意味合いなんですよね、「社会」はない。
だからあまり自分のことを広島出身と言わないし、瀬戸内出身という意識の方が大きい気がする。

私の実家がある町は海と山と坂があって、それ以外なにもなくて、ただただ毎日散歩できる場所なのですが、そこに住みつつ働く、ということが私はできない。
12歳の時自分で作った大きな切り替えが、そこにはあるんだなあと思った。

毎日4番目と犬と散歩して、
ひっそりした神社にお参りして、
犬をわしゃわしゃして、
海はずっと見えてて、
ドラッグストアで変なもの買って、
天国みたいな色の夕焼けを見て、
母さんのカレーを食べて、
あほな動画を見て、
夜空を見に屋根へ登る。
そんなことだけでいいのに。
昔の嵐は過ぎた今、本気でそう思う。

でもここにいるだけじゃ詰まる、と思った12歳の自分は、いろんなところに住んできた、そう導いた本能のことも尊重せざるを得ない。正解だったと思う。

「人生はすぐ終わる。こんなに愛している存在がいる。
だから余計なことはせず真摯に生きたい」
それだけは今回はっきり分かった。

「だからこう」とは言えないけど、『スウィート・ヒアアフター』の小夜ちゃんみたいな気持ちで生きていきたい。

とりあえずいつかまた帰って犬をもふりたい。


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