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「生きる」のシェア
noteでの言葉の交流っておもしろいな、とこの1年半ほどでしみじみ思う。
人生はそれぞれ続くのでオチはなく、言葉がただただぽつぽつと続いていく。それをたまたま同じ時代を生きてる別の世界の人が眺める。
大きな流れをただただ見ること、それを教わったように思う。
流れの中で、しょうもなく笑える話があり、人生の厳しい一面があり、ゆっくりとした自然な治癒がある。いろんなものが浮かんでは消えていく。
流れの中では、もしかしたら実際会っていたら分からないかもしれないような、雰囲気までがあらわれる。1,2回なら「ここではこういう自分でいたいな、だからこういう言葉を発してみよう」が通用するかもしれないけど、時間の流れとともに、やっぱり芯の部分ってあらわれる、気がする。
芯の部分のその人だけの美しさ・本当の変化を見せてもらうことって、こんなにも力をくれるのかって思う。意図という小さなスケールをこえていて、たくさんすばらしいものがつまっている。それをまるごとシェアしてもらえること、うまく言葉にできない、感謝している。美しいなと思って見ている。そしてそれを濃く思いすぎないように、している(重みになったらいやなので)。
吉本ばななさんがいつか言っていた「他人にできることは人生を少しシェアすることだけ」という言葉が、本当にその通りなんだ、と知っていっている途中です。
やさしい夜が、きれいな月が、訪れたらいいな、と鼻くそほじりながら思っています。
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