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今は一緒に働きましょう。

今の会社のメール室の人たちが大好きだ、尊敬している。
発送まわり全般を担ってくださる方々なんだけど、その仕事への姿勢の清潔感に、入社以来ずっと助けられてきた。どんなときも「今ここですべきこと」に体の焦点があっていて、それが焦りなどといった個人の感情でぶれない。体育会系な感じでもないし、老若男女問わずみなさんその方向に体が向いていて、なんなんだこれは、と常に興味をそそられてしまう。尊敬の気持ちが止まない。

私は、入りたての頃常に混乱していて、メール室の方々にたくさんご迷惑おかけした。そんなときも、私の混乱には巻き込まれず、自分たちのせいにも私のせいにもせず、淡々と力を貸してくれた。逆の立場だったら、私も一緒に混乱→破滅という道筋が見えすぎていたから「ほんと申し訳ないしすごいしありがたいなあ」と混乱の片隅で思っていた。特に私のフロア担当Yさんの、いぶし銀みたいな落ち着きは、同じ空間にいるだけで私を心強くした。

2月半ばにYさんと立ち話しているとき、不意にこう言われた。
「俺再来週から担当ビル変わるんすよ」
そっか~そうなんですね!寂しくなりますね~~。といいながら、私の心になにかが影を落としたのをしっかり確認した。仕事が終わって、その影についてじっくり確かめてみた。
そうか、もうこの時間と空間は戻ってこないんだ。
例えば、連絡先をきいて今度飲みに行ったり個人的な話をしたり。それってYさんに対して全く必要としてないんだなあとしみじみ分かった。同じ空間でそれぞれこつこつ仕事をすること、なにかあったら助け合うこと。ようは「一緒に働けたこと」がすべてで、幸せなことで、その時間はあっけなく終わりをむかえるんだなあと。縁が深くない人たちの淡い交わりは、ほんとうに儚いんだなあ、無理につなぎとめられないやと。真実の底の果てしなさを淵からのぞいてしまったようで、生身で世界にさらされている気持ちになった。

ちょっと心許ない気持ちの3月。でも場は回り続けるし人は慣れる。そうかそうか。そういうものなんだな。と妙に納得しつつ過ごしていた。

先週おつかいで他のビルに行ったとき、たまたまYさんに会った。相変わらずの身のこなしで、少し話しただけでも濃い元気をもらえて。「同じ場で二度と戻らない時間を一緒に働いて共有する」ことは、もうないでしょう。でも「遠くで淡々と仕事をする人がいる」という想像力が私の仕事人生に加わった気がします。帰りにきらきらひかる野花を見て「ああ、行きも桜が異様にきれいで、すてきな予感がしてたなあ、未来からの光って本当にあるんだな」と思いました。

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