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自由について(『彼女について』みたいな気持ち)

2月は自由についていっぱい考えて、
私の中の自由が生まれ変わっていく月でした。

よなよなでも考えが深まり、
会社でも状況が変わり、
平良ベティーさんともお話しした。
(ベティーさんとのお話は、たくさん発見があったけど、未だいろんなことを消化中)

昨年末から会社でたくさんどたばた事件があって、
頭の中はわやわや、ごみだらけ。
どうして私はいつも混沌の中にいるのか?
変なレコードの溝に落ちてしまって、毎回パニックを奏でるのはなんで?
次々迫ってくるハードルを不格好に越えながら、そんなことを考えていた。

先週ベティーさんとお話しした時に言われたこと。

「胸に『ここで1番大切なことはなんだろう』って問いかけるのよ。
そうしたらあなたは分かるはずよ。
ほんとはあなたは竹を割ったような性格、女性より男性の方が合う。その場で1番大事なことはなにか、本来分かるの。
でも、感性がよすぎるのね、やさしいから、いろんな人の気持ちが分かって、それにいちいち取り合っちゃう。それでよく分からなくなるのね。
でも、本来、決めていける人なはずよ」

「ほんとにそうなんですかね…?
いつも混乱した時『今1番大切なのは』って考えても、絶対分かんないんです。
頭が、古くて図体だけでかいWindowsXPみたいに、発熱して動作がすごく遅くなるんです」

「それはここ(頭)が古いPCだから、それを使おうとするからよ。そうじゃなくてこっち(胸)を使うの。
最新のMacがここにあるのに、わざわざXPを使うことないのよ。
こっちを使えば、分かるはずよ」

そうか、と不思議な納得があった。なんかそんな気がした。
胸にMacがあるって考えたことなかったけど、それって意外と確かにそうかも、そこにはメモリがあまってる感じがする。

そうやって、よなよな然り、ベティーさんのお話然り、「あ」と思ったことをこつこつ試して1つ納得したことがある。

「いつもわたわた、おばか、でも悪気はないし憎めないし、しゃーないなあこいつ」と見られることで、これまで生き延びてきたんだなあ。
自分の来し方を思い返すと、そうだったんだろうと深く思う。
人と距離を全く置けない空間の中でいろんな人の感情が一遍に目へ飛び込んでくる。真実を言うことは深く禁じられている。そうならざるをえなかったんだなあ。
もはや染み込んでいるといえるほどまでに、常に自らその溝にはまっていく心の癖が、ありありと浮かんできました。
あそこまで毎回同じような混乱の渦に陥るのは、現実への反応ではなく刷り込みへの反射。そこにはまりにいく不自由な心の状態があればこそなんだなあと。

それに気づいてから、できるだけそのパターンに逃げるのをやめてみようとしています。
あ、と思ったら、とりあえずお茶を淹れにいく。トイレに行く。
試してる途中だけど自分の中の景色や色彩が変わってきて、お、と思っています。

自由って心の落ち着きのこと。
己のど真ん中に立つしかない。
落ち着いてゆっくり考えて、いい。
本当にそうだなあと思うし、そのことが体で少しずつ分かっていくはず。

もし分かんなくなっても、またゆっくり息をしてやり直せばいいし。
ゆっくり息できなければ、あー今できないなあっておもえばいいし。

そうやって、人間って変わらないけど、試していろんな自分を見ていけるんだなあっていうのが、すごく新しい感覚です。
そういうのが自由なら、それは昔思ってたのとけっこう違うけど、手触りがあって工夫しがいがあって、信じられる感じがします。

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