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2021年2月20日

③が白血病とわかり即入院してから8日後だった。

日々愕然としたり、つー、と涙が出たりしながら、なんとかしのいでいた夜。
ちょうどYUKIのうれしくって抱きあうよをスマホで流していたら②からLINEが来た。
「①ちゃん、③相当やばいみたい。40℃の熱が3日間下がらんらしい。明日病院行ってくるけど、危ないかもしれん。」

スマホをベッドに即投げつけた。何がうれしくって抱きあうよじゃ。(私の個人的な感情で曲は悪くありません念のため)
主治医にも原因不明で病状が読めず、とにかく明日朝一で来れる家族は来てほしいとのことだった。「あした分かったことがあったらすぐ連絡して」と返信した。

どうしよう。
腹の底がすかすかで平衡感覚がおかしくなって同じ場所をかたむいてぐるぐる回るみたいだった。
とにかく、深く呼吸はできなかったが、広島の方角を向いて座った。そして私なりに祈り続けた。
家族に宗教があってよかったと思った。私は卒業したから、私なりのやり方で祈った。

祈りながらYouTubeで片っ端から曲を流した。けっこうハマってた「猫」が絶対聞けなくなって、ゴスペラーズの「二人」とか宇多田ヒカルの「あなた」とか、とにかく聞けないもの以外何でも流して、何でもぐっと来て、何でも涙を流した。

例えばこんなこと思いたくないけど、24時間後、私はなんとしてでも③の生きていた今に帰りたいかもしれない。そうなったら、こんなに辛いのに、それでもこんなに恵まれてて幸せな瞬間はなかった、と今のことを思うに違いない。
でもそんな、③が生きてる今での私に、できることはなにもないのだ。
後で「あのときに戻れたら」という今にいても、なにもできないのだ。
ただただ苦しくて、今という瞬間をどう受け止めたらいいのかわからなくて、祈った。

祈りながら向いてる方向が、ちょうど1年前③が雑魚寝していた床で、堪えた。
あんなに確かにたくましい体で、そこにいたのに。確かにいたのに。

時間はたたない。秒針が進まない。夜がびっくりするくらい長い。

祈りながら耐えきれんと思って小説を求めた、でも「誰かが亡くなってそれと向き合いながら折り合いをつけていく」というタイプのお話は近くへ寄せられなかった。
かろうじて吉本ばななさん「王国―その4アナザー・ワールド―」が読めた。

雫石がノニちゃんに「あなたはとても優しい子に育ちました。」と書いた言葉で狂ったように泣いた。
ほんとうに③は優しい。ばかだなと思うくらい優しい。私はどこかその優しさを正面からは受け止めず来てしまった。でも優しいということは、ほんとうにすばらしいことなんだ。

そして片岡さんがノニちゃんに、なんでもいい、地獄に落ちてよれよれになって発狂してもかまわない、とにかく生きていてほしいと思う、と言っていた。
生きていてほしい。生きていてほしい。なんでもいいから生きていてほしい。

夜明けも近づいてきて、神経が逆だって全く眠くないが、このまま寝ないのは良くなかった。でも、意識を手放す気になれなかった。怖かった。なにかあったら。
「アシタカとサン」をエンドレスでリピートすることで、ささやかに眠ることができた。私にとって聖歌みたいな曲だった。

夢を見た。
緑の木陰がさわやかな洋館に引っ越してきたようだった。とっても広い部屋が5人の子供部屋で、それぞれ机をおいて、カーテンを風がそよそよ揺らしていた。
わたしと②、⑤がいて、なぜか③と④がいなかった。
心配してなかった。「もうすぐ来るから待ってよう」と言った。
そこで目が覚めた。

朝になっていた。
③が大丈夫だ、となぜかわかった。
お日さまが昇ると、こんなに大丈夫な気持ちになるんだと思った。

しばらくして、熱が引いてきた、原因がわからないので対症療法にはなるが、一旦大丈夫だと思う、との主治医の言葉が連絡来た。
神様に心から感謝した。

今でもあの緑の洋館の爽やかな風と、満ちていて不安がない気持ちを、覚えている。

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