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Home Sweet Homes

家というものに自分なりの思い入れがあるのかもしれない、と気づいたのはけっこう最近だ。

ふと思い立って数えてみたら、私が住んだことのある建物は13軒。寮での部屋替えとか、フェイクの部屋を借りたりとか、台湾から帰国してまた同じ部屋に住んだりとかしてるから、そういうのも含めると引っ越しは24回している!平均1年ちょっとに1回引っ越しの人生だ…。自分で人生の手綱を握れるようになってからも2年に1回のペースなので、これからも引っ越しと縁がありそう。住んでいたたくさんの家の隅々を、今も住んでいるように覚えている。

すべての原風景は、年少さんから小3まで住んだ家だ。
そこには、ちいさな私からしたら広大な庭があった。ライオンキングでシンバが抱き上げられる崖みたいな大きな岩もあったし、小さな橋もあった。松ヤニってこんななんだ!と知った松の木も、ひっそりしめった石灯籠もあった。家のなかも、雨音がきれいに聞こえる洗面所、庭が見えて幸せな気持ちになる2階の窓。縁側ではだらだらひなたぼっこも、雨のにおいかぎながら本読むのも好きだった。はじめての感情のかけらとか、世界のふしぎのかけらとか、たとえばどれだけ走り回ってもよくて柱でぐるぐる永遠に回ってられる、みたいなきもちを全部全部もらった。今はこの家は庭がつぶされ駐車場になっていて、たまの通りがけに見ると悲しい。でも私の中ではいつでもあの時の庭で遊び回れる。ふしぎなことだ。そしてしあわせなことだ。

忘れられない家は、八ヶ岳の麓の家。
とても変わっていて、昔ちいさな診療所だったのをむりくり分けてアパートにしていた。だからトイレにちいさなかわいい小窓があったり(おそらく検尿をおいていた?)、受付だったんだなというカウンターがあったり。でもまったく辛気くさくなく清潔で、いつも白い光が満ちていて、ただただ気持ちいい家だった。初めて内見したとき、入った瞬間この家のことが好きになった。そしてたぶん、この家も私のことを好きになってくれた。先約がキャンセルして住めることになった。それからの2年と5ヶ月、本当に幸せだった。
縦長のきれいな窓が3つあって、そこから南アルプスがいつも見えた。少しいびつだけど清潔な床で、ドア枠の白いペンキがほどよくはげていて、風の通りがひたすらよかった(気密性は皆無)。大きな窓を割って殺しに来る人がいても全く不思議ではない、と常に思っていた時期だったのに、それでもなぜか安心できた。ソファで丸まり、ひたすら子どもになって引きこもることができた。安心して悪夢を見ることができた。光が、すんだ空気が、ぽつんとした空間が、ただただ私を見てくれていた。間で台湾に住んでいたときも、日本という国に帰ることの重さを、あの家が待っているということが減らした。
私が東京で働くから、出ることになったときも、そうか時がきたんだね、という感じのたたずまいだった。後ろ髪をひかず淡々と送り出してくれた。何もせず、ただいるだけで全部くれた、そのすべてのことを一生忘れられないと思う。

急遽東京で住むことになった家は、ファミリー層が多い住宅街にあったのだけど、残念ながら相性がとことん悪かった。家に注ぐ西日の質感とか、集金にくる大家さんとか。押入の床を拭いてる最中、上段の板の裏(?)に「(人名)LOVE」という焼け焦げた文字を見つけたときは本当にぞっとした。
仲良くなろうと配置換えしたり掃除したりしたけど、パンクした自転車をこいでるみたに、頑張れば頑張るほど空気が抜けていくのが分かった。当時の仕事への姿勢も悪かったので体調もがたがた。いつしか家に少しでも触れたくなくて、足裏の外半分しか床に着けないように歩いていた、立ち方が歪んだ。

引っ越さなくては。まず当時の家~職場間の駅を1つずつ降りて散歩しぬいた。すてきなところはいくつもあったけど、そのうち1つの街が内側の感覚にぴたっときた。そこで内見をして回った。なにを探しているのかもうまく説明できないまま、何十軒も見た(納得するまで見ること心からすすめてくれた不動産屋さん、感謝しきれない)。どこも全然悪くない、ここでもいいんだ、けど…。1回迷いつつ決めて連絡した家は、半年空き家だったのに連絡の前日に入居者が決まっていた(まさか!)。なにが正解か分からない、どこまでいけばいいのかわからない、今の家にいる限界はとうに超えてる。でもなにかを投げ出せなかった。39軒目、建物の前にたって、部屋の窓の百日紅を見て。「ここにします」とはじめて心から言えたな、と思った。

そうして決まった今の家は、最初人見知りだった。ちょっと警戒するかんじで、なじみきらせてくれなかった。でも私は越してこれて本当に幸せだった。時間はかかるけどちょっとずつ整え、いろいろ試し、生活は続けて。ある日、なぜか急に居やすくなって「あ、心を開いてくれたんだな」と分かった。仲良くなって、この家の良さがよく分かってきた。朝の光の入り方とか、キッチン洗濯機こみでぐるっと1つのワンルームな感じとか。暗がりも光も一緒にあるよ、という感じがする。どんどん少しずつ自分になじんで、一年半たった今でもちょっとずつ手を入れるのが楽しく、この部屋を風が通り抜けるのが気持ちいい。ちらかってても、帰ってきてただいまといえる嬉しさが消えない。

私にとって家は家族だったんだ、と今気づいた。
同居人の有無に関係なく。だから、そこに住ませてもらったこと、忘れないし、消えないし、一緒にいられたこと嬉しい。これからも引っ越しするだろうけど、stayhomeな今の幸せを気持ちよく味わっていたい。

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