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きちんと自分で扉を閉める

4年8か月やった仕事をやめた。
2週間前が最終出社日だった。

雑誌の編集部にいて、媒体の特性上さまざまな出版社の各種編集部と関わっていた。
人によっては夢のような仕事だと思う。恵まれてて、ありがたい職場だってよくわかってる。
そう思えない自分への罪悪感が、日に日に心を蝕んだ。

媒体やそこいる人々を、日々愛そうと試行錯誤したけど、最終的に愛せなかった。

私の歴も中堅になって編集部の全体像を把握していたし、嫌な人・悪い人はメンバーに1人もおらず、なじんで見えていたと思う。それは単に「慣れた」のであって、根本的な感性はいつまでも「その村の人」になれなかった。

「いずれ編集者になりたい、そのための下積みは何でもやる!!!」というガッツあふれるタイプでは全くなかったけど、これまでの人生私なりに本のことを大切に思ってきた。だから「本をめぐる『しょうがない』こと」にいつまでたっても傷つき続けたし、それへの解決策を考えつくこともできなかった。そもそも媒体を結局愛せなかったのだから、それが本来活きる道を考えつくはずがない。

「違うんだから、そこにいてはいけなかった」のに、無駄にあがいてその判断が遅すぎた。
「無理なんだ、もう絶対的に愛せないんだ」と分かってしまった昨年末から、離れる準備をしてきた。

色んな人がいて、その人の世界の中では、私がぞっとすることも心打たれることも同一平面上にある。
でもそれを受け入れるため「さすがにそれは犯罪でしょう」「先方へそんな詐欺まがいの説明をしていいわけないでしょう」を少しずつ飲み込み、判断基準がわけわからなくなってしまった。

それにびしっときつい言葉をくれたのは付き合ってる人だった。
モラハラ気質で、プライドが山のように高くめんどくさい人だ。でも鉄の「自分はそういう生き方しない」にかけては本人でさえどうにもできないくて、得とか損じゃなく、選択の余地がない。

きつい言葉にはっとして、今できることをし漱いだら、人生の輪郭がはっきりしてきて驚いた。このはっきりさこそが生きてる意味だ。必要に迫られて寛容な人間になったつもりだったが、単に軸がぶれて生き方がぼやけただけだった。そうして生きていくことに自信や喜びがなくなる。
「ああ、降りて良かったんだな」と心底思った。 

もっとできたことがあったかもしれないし、悔いは残るが、結果これで良かった。
「私はこれを学びました、だから同じ過ちは二度と繰り返しません」と言う自信はない。でもだめなりに最後までベストを尽くしたし、残ったものは人生の学びとして持っていくしかない。
全部因果応報で、誰も悪くないんだって心底思う。

こんな書き方だけど、元職場には本当に感謝してる。思う存分自分たちのやりたいことを、これからも追求していってほしい。心からそう願ってる。

私も、会社近くの木陰のうつくしさとか、得た数人の友人とか、バイトの子たちと育てた信頼とかを大切に持って、また次の道へ進む。願わくばその道が、よきものでありますように。

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