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文を書くのをはじめます。

今日は大切な日、何かの始まりの日。
こうやって初めて文を書くには、
すごくいい日です。

少し前にふと見つけた、
よしもとばななさんの『鳥たち』のインタビュー。
そこでの言葉が、
今出会うべくして出会った言葉だった。

「若くしてつらい経験をした人にありがちなことだと思うんですが、まこも最初はまわりの人間をちょっとバカにしているところがある。たとえ教授だろうと、年は上かもしれないけど、大変な経験をした自分の方がものをわかっているくらいのつもりでいる。聞く耳を持てないせいで、自分の時間が止まっているのにも気づけない。(略)本格的に病んでいるところからゆっくり回復していくところを描くために、文体的にはぎゅうぎゅうに詰めて詰めて、だんだんゆるくして解放感を出していくという作業をしたんですが、それはすごく大変でした。」(『ダ・ヴィンチ』2014年12月号)

このことの言っている意味が、
ほんとうによく分かる。
心のたどる過程が一緒なのだ、
この5、6年の私と。

自分ではどうしようもない次元のところで、
どうしようもなく頑なになっていて、
分かっていてもそこでぐるぐるしてほんとうにどうしようもない感じ…

ようやく最近少しずつ、
体にいられるようになりました。
のんびりできるようになりました。
私は人生の深奥を全くわかっちゃいないって、
体まるごとで分かってきました。

それが、ほんとに嬉しい。
まっさらで、なにもなくて、
これからじっくりと熟していくことができる。
青い今の自分を、体ごと受け止めて、
一緒に歩んでいくことができる。
こういう時間のために
わざわざ生まれてきたんだなあって、
そう思いにくい時間もこみでよかったです。

だから、自分の熟し方の一つとして
こうやって文を書いてみることにしました。
楽しいなあと思いながらやってみて、
違うなあと思ったらやめてみて、
その道のりの自分を
また見守っていこうと思います。

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