見出し画像

コロナにもインフルエンザにも罹ったことはありません。

世の中の恋してる人たちすごいな。
こんなにいろんなことをすり合わせたり、共有したり、けんかしたり、めちゃくちゃ心の体力使う。よくみんな当たり前のように気軽に付き合えるな~!
そうやって重ねたものよりも、やっぱり別れようってなるって、そりゃあ失恋ってきついはずやわ。なるほど。

そんなことを最近思う。
よく考えたら、本当に人と両思いになったの大人になってから初めてだ。

元同居人から告白されたときは「まったく恋愛感情はないけど、こんなに話が合う人なかなかいないと思う」と伝えた。全然それでいいといっていたので「恋じゃなくても家族になれるか実験だ」と思っていた。
その前後はだいたい10年、FTMの子をただ好きだった。だらだら片思いをしたし、そんな自分を「執着してる」と恥じた。

だから、違う者どうし一緒にいるめんどくささも、でも一緒にいたくてそれを乗り越えたがる謎の強い引力もなかった。間にある「なにか」が育つ感覚も、初めてだ。

「全然自分が自分でいられない、こんなんだめだ」と思って泣きながらけちょんけちょんにけんかしてるうち、ふと「違った、それは私の枠のせいだ」と醒めるように気づく。
私にはわからないポイントで、あっちが胸打たれていたのを、あとあと知ることがある。
お互い違う風に歪んでいるから、それぞれの癇にやな感じで障るし、それぞれを自由にするのに役立つ。
そう、こんなにへろへろだが、確実に元気で自由になってきているのだ、自分の心の一部が。

「そりゃ俺さっき『この話意味ない』って言ったけど、でもstaさんにとって意味があるんだったらいいじゃん。全然違う他人が一緒にいるんだから、どんな人どうしだってこういうことにはなるよ。別に2人ともにとって意味があるわけじゃなくても、どっちかにとって意味があったら、それでいいんじゃん。俺だって、きっとstaさんにとっては何度も聞いた話でも、俺が今しゃべりたくてしゃべってることに意味あることだってあるし。そういうもんだから」

私が言うのもなんだがめちゃくちゃめんどくさい人だ。プライド高すぎて山のごとしだし、細かさ半端なくて姑みたいだし。
でも「とりあえず自分で考え抜きたい」姿勢とか、おもしろいことを一人で延々とおもしろがれるところ、なんでもかんでも笑かしてくるところ。
一緒にいるとなぜかお互い小学生になって楽しい。

彼のおかげで初めて見るものや、世界の知らなかった一面があるわけで、この世の不思議を感じる。
もともと育った世界が全く違っていて、彼の世界にはぎょっとすることや「私はそれは嫌だ」と思うこともめちゃくちゃある。ただずっと見ていると自分の感じ方が変わったり、そこにしかないささやかな喜びも見えたりして「いろんな世界があるというのはよいものだなあ」というあほみたいな感慨を覚える。
そして、いつも彼の奥に小学生くらいの男の子がいて、その子とは仲良くなれるなあと思えて、嬉しくなる。

(よく、この藤城清治さんの絵のような気持ちになる)

これからも一緒に、夜明け前の港で星空見たり、けん玉したり、イカさばいて食べたり、するんだ。たくさんドライブ行って、沖縄に旅したりして、ご飯をいっぱい食べるんだ。

この謎のエネルギーは、インフルエンザとかと同じなんだろうな~(コロナは違いそう、彼は二度も罹ったが)と思うけど、とりあえずまだ続いている。それが引いたときに「なにか」がじゅうぶん育っているといいな、と心から思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?