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私はあの水色が見たい

大きくなると、すきな色は増える。
それぞれの色の味わいが分かって、なにか1つだけ!ということがなくなってきた。

でも、明確に「生まれて初めてすきになった色」が私にはある。
ざっくり言うと水色なんだけど、明確に「この色」というのが自分の中にある。
そんなことを不意に思いだした。

母に買ってもらったヘアピンの水色。
くもってなくて、にごってなくて、光っている。
「わたし、この色、すき」
という感覚をしっかり体でおぼえた。
「すき」という気持ちの原体験に近いものだったのかもしれない。

そのヘアピンをなくしてしまって、また水色のヘアピンを買ってもらったんだけど、新しいのは少しミルキーで重い色だった。
「なんか、ちがうんだよなあ」
「でもおなじ水色だしなあ…?」
そんな、自分の気持ちをすこしずらすような経験も、このとき初めてしたのかもしれない。

そもそもの話では、このところ、指輪を買ってみようかと思い立った。
「手元に海が見えたらいいな」と、いつかアクアマリンの指輪が欲しいな~と思っていたのだ。
そうしたらなつ美さんに
「今買いなよ。修行だけじゃなくて、ほしかったものを買うとか、大事よ。だってあなたその『いつか』は絶対来ないタイプじゃない」
と言われた。
確かにその通り。そして買っていいんだ、私が現実で指輪を買うということがあるんだ、とびっくりな気持ちにもなった。

それからしばらくたって見返した「妄想クローゼット」(©あきやあさみさん)。
「なんだかわからんがこの見た目好きだな」と思ったもののスクショを集めてるだけのフォルダ。なんとなくだらだらと続けている。
この1年余りにハード過ぎて、情報というものがきつくて、服の写真を見るだけでもしんどかったのだが、細々と続けていた。
久しぶりに見返して気付いた。

私のクローゼット、水色の石の写真ばっかじゃん。

こんなに好きで、求めていて、特に最近それらへの惹きつけられ方が尋常じゃなかったこと。その気持ちを「まあいつかね」とナチュラルに無視していたこと。
ああ、ちゃんと取り合ってあげないといけないな。じゃないとかわいそうだ、こんなに求めているのに。
ちょっと涙が出た。

そうして冒頭の「あの水色」のことを思い出した。

そうなると海うんぬんはそっちのけで「あの水色」が見たくてしょうがなかった。
いろいろネットで見たり、疲れた体を引きずって、初めてのアクセサリーショップを何店舗もはしごした。

大好きなフィリフヨンカさん(これもあきやさんがおすすめしてくれた場所)のアトリエショップへ2度目の探索に行ったとき、「あの水色」があった。
なんとなくアクアマリンのイメージで探していたのだがモンテブラサイトという聞きなれない名前。リングのかたちとか石の大きさとかも想像と全然違った。
へたれさを存分に発揮しながら、でも、と買うことを決める。
なんだか不思議な気持ちだった。

そして先週末受け取ってきた。
ぴったりのサイズになって、指輪し慣れない私の手で光っている。あの水色が!
なんだか嬉しくて、いっぱい光にかざしてしまう。

いろんなことに寛容になる、個々の良さもわかるようになる、それはとても豊かなこと。
でも思い出した。
この色じゃなきゃ、だめなんだ!
そういう全く合理的ではない気持ちが、私を私たらしめる、無くしちゃいけないものだ。
少なくとも自分でそのことを分かっていたい。

これからいつでも手元を見れば「これじゃなきゃだめなもの」が目に入る。
「かえがきかないもの」が近くにいてくれる。
とっても嬉しい。


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