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うみがあったよ

私は瀬戸内海の出身。
祖母の家は島、我が家はそこから橋が架かっている本土?で、とにもかくにも海がそばにあった。
きれいだとかいうことではなく、あまりにも当たり前に毎日ぼーっと見つめ、遊び、たくさんの言葉にならないことを溶かしていた。

そんな私が中学で家を出て、大阪山奥の寮に入ることになった。
実家を車で出た日、後ろの実家を見ながら、
「もうここに帰省することはあっても、住むことは一生ないんだ。私は今ここで、自分1人で生きていく腹を決めるんだ」
と切腹のような気持ちでいた。
その時のことを、人より早く大人にならなくてはいけなかった思い出、と思っていたが、
自分の自然な成熟をとめてしまった、大人になれなくなった思い出だったんだなあと、今はしみじみ思う。

入った寮は、オブラートに包んで言うと、人間のいるべきとこじゃなかった。
夏休みまでの約100日、人生でこれほど長く感じる時間はもう絶対にない。
誰かに辛さを見せるなら切腹、と思っていた私は、夏休みまであと○日、の紙がめくられるのを、
じりじりしながら、叫び出したいのをこらえながら、耐えていた。

素晴らしき、晴れ晴れとした、7月21日。
青春十八切符で、とことこ西へ帰った。
いてもたってもいられず、兵庫あたりで、なぜ電車はこんなに遅いのかと悶々としていたとき、
視界がぱっと開け、海が飛び込んできた。
こんなにこうごうしいものが、このよにあるなんて。
人生ではじめて気づいたら涙が流れていた、という経験をした。
99でも120でもない、100っぽっち。
足したり引いたりと一番遠いもの。
ただの私の原風景。

それからも、海の感じは、私を励ましたり歯の浮くキラキラさをもってたりしない。
alreadyとか已经みたいなかんじ。わざわざ言葉にする必要がない、大丈夫さだ。
こういう大丈夫にふと帰ってこれる、守られた私の人生、なんで?ふしぎ!ありがとう。

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