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澄んで光る結晶を見た

今日はバイトのTさんとお昼食べた。
実はマスクしてない顔を見ながら長時間しゃべるの初めて(!)。
笑ってるとき鼻はこんなふうに動いてたんだ、マスクの下で。

この4ヶ月働いてみて思ったこと、いろいろ聞く、話す。
私が言おうとしたことがTさんの口から出る、ってのがちょいちょいあり、笑う。逆もよくある。なんでこんなマニアックなとこでシンクロが起こる?やたらとシンクロニシティ!笑

お互い「『違うこと』は結局違うよね」と思ってることが、よく分かった。

Tさん入社以降、仕事・職場・製品のクオリティについて、私も改めてはっとして考える機会が多かった。
私は、ファーストコンタクトで思う
「うわやっべーな」
はいったん脇に置き、
「どんな『事情』があって、この人・世界がどうなりたってるのかまだ分かってないんだから、とりあえず観察してみよう、理解を試みよう」
とするクセがある。
そしてたくさんの『事情』にからめとられ、いろんなことにとろみがつき、分からなくなる。(お決まりパターン)
だけど、Tさんが入ってきてから「いやそこ外したら本末転倒やろ」と言っちゃえるシンプルさが自分の中に戻ってきた。ずっとこれが本音だったけど、それは誰かを裁くこと・理解してないことだ、と変なとろみで曖昧にしちゃっていた。

Tさんは、そこがずっと透明な人だ。
普段のたたずまい、瞬間の判断、動きのキレ。そこに全てが出ている。
自分が感じていることをごまかしなく自身で受け止め、濁さず、かつ遂行できる。
だから、今日彼女が言ったことで、普段の姿から想像がつかないことも、私が芯から「本当にそうだね」と思わないことも、ひとつもなかった。

彼女は愚痴を言いたいのでも、正論を振りかざしたいのでもない。
人生を大切にしているだけだ。
だから自分の目でしかと見た「やってらんねー」な世界へぬるっと妥協してる暇はないんだ。
冷静に「こんなに『違う』世界もある」と学んだら、聡明な頭とクリアな判断で、また別の道を拓いていく。
その歪みなさの底に、強く澄んで光るものが見えた。澄みきっているから誰も壊せない、生まれたときからずっと変わってない結晶が。

その光を見ると、なぜか私も私に還っていく。Tさんと出会ったことと、この4ヶ月で「あ、私こういう人間だった」と戻ることが増えたことは、おそらく無関係ではない。

吉本ばななさんも言ってたけど「抜け道」はあるんだ、必ず。
だから私も、「やってらんねーー!!」と叫んだら口を拭き、大きな気持ちで遠くを眺めて、生きることを工夫しよう。「『違うこと』をしないこと」にはまだ遠いが、少しでもこつこつ近づいていくだけ。せっかく私に生まれてきたんだから。

Tさんはこれからもっと経験豊かに賢くなっていくだろう。
でも変わんないんだ、芯の結晶の強さは、光は。
私の中にずっとある、わたし色の光も。
そのことになんと感謝したらいいか分からないが、とにかくこつこつ人生やってみようと思う。

昭和なエビフライ定食は、しっぽまでおいしかった。
今度は按打餃子を食べに行きたいなあ~~。

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