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32歳

今日、32歳になった。

2023年が終わるとき、本気で2024年に来てほしくなかった。喪中につき新年のご挨拶を、の意味を初めて知った。
だから③のいない32歳なんて来てほしくない、という気持ちも、やっぱり少しはある。
32歳、というのは昔からふと思うことが多い歳だったから。きょうだい全員が成人して、みんなでお酒を飲めるんだ。どんな大人になってるんだろう、と思いを馳せていたから。

この3年半ちょっと、私は完全に自信をなくした。自分を信じられなかった。

それまでは、子ども時代と地続きの感覚で、自分なりになりたい大人へなれている実感があった。だめな所も多いけど、自分なりには何かを磨けていて、ええやん、と思っていた。
だけど③が病気になってから、進むべき方向が初めて完全に分からなくなった。
何でもやってやる、という思いから、それまでやったことないことをたくさんした。初めての世界も経験した。そこで「え?」ってなることが山ほどあった。でも
「『え?』ってなる自我の強さで、できなかった成長があったんじゃないの?その頑なさのしわ寄せが③にきたんじゃないの?その枠を乗り越えて、これまでと違う自分にならなきゃ、③は助けられないんじゃないの?」
と思った。他人からそう言われたこともあった。
完全にいろんなことが分からなくて、経験したことのない重い選択の連続で、迷いながらも流された。自分で何かを決めきれなかった。
これまで培った自分は、風が吹けば飛ぶような、軽い薄っぺらいのものだと思い知った。
だから、そんな自分しか培えなかった後悔が残った。

それがあとを引いて、③が亡くなってからもいっそう、全てにおいて自信がなかった。仕事も、好きな人との関係も、これから生きて死んでいくこと全部。私は薄っぺらくて、大事なことは何もわからなくて、やることなすことすべて「違うこと」で、日々世界に振り回されて怖い思いをしておどおどして、大切なものを何も守れない。日々死ぬような思いをして、何とかやり過ごすだけで精一杯なんだと思っていた。

だけど、たくさん泣いて、惑って、このところ少しずつ思いきれてきた。

私は強さも見極める目も人生経験も、何も持ってなかった。私が持っているものは、自分の命より大事、生きているだけでいいって思える4人のきょうだいとその愛だけだった。それがいかに得難く本物か、それがあれば他が霞むようなものか、思い知った。それがあればいいじゃないか、と本気でわかってきた。

だから、いろんなことと向き合わず来た自分を、真正面から単に見る。そして、ゼロからだけど1つずつ積み重ねていく、と決めた。自信がないなら、1つずつつけていくしかない。もう一回最初からやってみる。
周りの感情に飲まれず、仕事の核を見よう。自由は心の落ち着きということを何度でも思い出して、対応しよう。だめだったらもう一回やろう。
自分が相手を好きで、相手も自分を好きで、間に生まれるものがあるなら、そこに賭けてみよう。その道を通る自分を信じてみたい。

今はもう、自分で帳尻合わせられない問題を抱えていない。失敗しても自分でケツを拭ける範囲なら、全然いい。自分事ならけして後悔しない。
出直そう。いろいろやってみよう、のんびり遠くを見る気持ちで。次の「いざというとき」には、守れるように。

そうやって迎えた今日は、とってもいい感じの天気!私は誕生日が好きだなあ、誕生日も私を好きなんだなあと思う。
会社行く前にスタバ寄って、美味しそうな飲み物を買ってみた。
31歳の自分、ありがとうおつかれさま。
32歳の自分、今日からよろしく!

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