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「不安は“消す”ではなく“減らす”」斎藤隆ピッチングコーチのコミュニケーションと言葉

6月11日。雨の神宮球場で行われたヤクルト対日本ハムの練習試合で、こんなシーンがあった。
初回、先発のマウンドに上がったアルバート・スアレス投手は、2番の杉谷選手にフォアボールを与え出塁を許すと、その後近藤選手、中田選手、渡邉選手に3連続二塁打を浴び、いきなり3失点を喫した。続く6番の松本選手にもフォアボールを与えたところで、今季からスワローズのユニフォームに袖を通した斎藤隆ピッチングコーチがマウンドに向かう。マスクで顔が覆われ、表情こそ見えないものの、いくつか言葉を交わす姿が中継に映し出される。その直後からスアレス投手のピッチングががらりと変わり、一転して安定した投球を見せた。マウンドで斎藤さんはスアレス投手にどんな言葉をかけたのだろう。

プロ野球にとって異例のシーズンが明日、開幕する。
斎藤さんは今、選手たちにどんな言葉を選手にかけているのだろうか。
私たちはそれを直接耳にすることはできないけれど、斎藤さんのコミュニケーションへの姿勢や選手にかける言葉には、きっと大きな力がある—それを強く感じさせてくれたのが、春季キャンプでの取材だった。4ヶ月ほど遡ることになるが、今改めて振り返ってみたい。



「ワースポ×MLB」(NHK BS1)は、メジャーリーグやプロ野球のハイライト・解説を中心に、データや最新技術といった切り口で野球というスポーツを探る番組。私はこの番組のキャスターに昨季から就任しているのだが、2年目を迎えた今年の2月、春季キャンプが行われる沖縄に向かった。

斎藤さんはこの「ワースポ×MLB」に解説として出演。実際にメジャーリーグの第一線でプレーした自身の経験に基づいた解説や、当時のアメリカでの生活についても、いつも持ち前のユニークな表現とともにお話してくださっていた。そんな彼がスワローズのコーチに就任したとなれば、番組を担当するキャスターとしても、そしてひとりのヤクルトファンとしても、浦添に赴かない理由が見当たらない。
就任直後に行われた秋季キャンプから現場に戻ったその感覚、一員になったことで抱くスワローズへの印象。そして、彼のメジャーリーグでの輝かしい実績や豊かな経験が、スワローズ投手陣の立て直しという決して簡単ではない課題に対し、どういきるのか。その時に漠然と抱いていた興味と期待を投げかけてみようと思った。



取材の日は午前7時過ぎに球場入りをした斎藤さん。選手たちと室内練習場でのアップを終え、グラウンドに移動するまでの間、練習前の忙しい時間にも関わらずインタビューに応じてくれた。紺色に鮮やかな緑のポイントが入ったスワローズのウェアをカッコよく着こなした彼はまず、(当時)ここまで大きなけがもなく順調にきていることが何よりだとした上で、試合中継や番組の解説でもお馴染みである、ゆったりとした穏やかな口調で話しはじめる。



「全員、かわいいですね。」
スワローズの投手陣について尋ねると、若手からベテランまで、みんな自分の子どものようにかわいい、と話す。「一生懸命やってる奴も、一生懸命のやり方もわからない奴も全員。かわいいです。」
大前提として、プレーヤーというよりも人としてどう接するか。それを丁寧にやっていきたいと語る斎藤さんは、今年の春季キャンプを「コミュニケーションから始まったキャンプだった」と顧みた。
前年の秋季キャンプでは若手を中心に接してきたという彼は、選手が春季キャンプで何を目指し、何をやろうとしているか—選手と積極的に会話をする、自らその意識をもつことで、選手を“理解”することから始めたという。この基本的なコミュニケーションこそが、「防げるけがを防ぐためには重要なのだ」と。これは高津臣吾監督からの指示でもあったという。

斎藤さんのコミュニケーションの取り方は、極めて柔和で謙虚な姿勢だ。
この日だけでも印象的だった姿がいくつもあった。腰を下ろしている選手に対しては自らもその長身を屈め、必ず同じ目線で話しかける。球場の敷地内を移動する際にも、少し前を歩いている選手に声をかけると、自ら早歩きで向かいその選手と肩を並べ会話をする。表情を見ながら、「彼らを理解するようにしている」というのだ。選手への柔和な姿勢が作り出す環境のなかで生まれるコミュニケーションにより、選手を理解し、関係を深めていく。
この姿勢は実戦においても変わらなかった。マウンドを降りた選手がベンチに帰ると例外なくすぐに声をかけ、横に腰を下ろし、必ず目線を合わせて話をする姿が、練習試合においても斎藤さんのコミュニケーションを象徴していた。



「ビックリするくらい、ないんじゃないですかねぇ。」
気になっていたことを尋ねると、予想外の答えが返ってきた。斎藤さんはメジャーリーグでの経験について、ピッチングコーチを務めるうえで意識することは驚くほどないと言い切る。むしろメジャーがどうこうという表現は使わないようにしている、という。コーチを務めるうえで大切なのは、昔のできなかった自分が何を考えていたか。
「本当に新人の知識だけいっぱいある頭でっかちな、ピッチングコーチをサポートして頂いているので。皆さんに感謝ですね」
高津監督はとにかく明るいので、チーム全体が明るい。監督のエネルギーはチーム全体のエネルギーだというのを、このキャンプの数週間で強く感じている。そこに日本とかアメリカとかないかなぁ、と率直な思いを話してくれた。

ではひとりのピッチングコーチとして、投手再建にどのようなプランを描くのだろう。
まずは彼から見て、スワローズの投手陣にとって最も強化させたいことは何だったのか—難しいねぇ、いっぱいあるんだけど、と少し考え込むように間をあけてから、このように語った。
「ミスした後の切り替え。これができるピッチャーになってほしいね。」
この“切り替え”という言葉は実際にこの日も、あらゆる場面で選手に対し頻繁にかけていた。
「1点をとられても、2点目をやらないピッチャー。2点目をとられても3点目をとられないピッチャーになってほしい。自分が若い頃、それに苦しんで、1点とられてものすごい落ち込んで、2点とられたらもう、この世の終わりのようになってたので。」
彼の輝かしい実績は、そこを乗り越えてこそのものなのだろう。彼自身、ピッチングが大きく変わったのは権藤博さんとの出会いだという。「今言ってることの半分くらいは権藤さんが教えてくれたこと」だと話す。

実際にどんなイメージで強化を目指すのか—斎藤さんは次のように語る。
「全員が全員、同じ点数のピッチャーじゃないわけですね。彼らが今いる状況っていうのは彼らなりに今、ベターな、ベストなところにいるはずなんです。そういう自負を持っているはずなんです。」
「僕がいきなり来てボーンと何か途中のプロセスを踏まえずに、ボコーンと成長することは多分ないので。60点のピッチャーなら65点にするには何が出来るのか。」
“あと5点”を上げるために取り組む。そこを目指し、彼が選手によくかける言葉として『ボトムを上げてくれ』という表現があるのだという。

“ボトムを上げる“とは—その投手が投げた球の質を幅として考えたとき、下のラインを上げることにより、その幅を狭くするということ。「それぞれがもつ100点のボールは、もちろん素晴らしい球。しかしよくない球—下のラインがすごく低い。つまり大きな幅がある。だったらその下のラインにあるボールをなくして、徐々にいい方に引き上げて、小さな幅のなかでピッチングができるように。」このようにイメージを伝えている。

他にも“70%の準備をする“という表現を用いるという。
「年間を通して調子が良いときは、数回しかない。でも、大抵の場合は自分がどれだけコンディションを整えても、70%ぐらいの調子でしかマウンドに上がれない。自分の経験上そうだし、選手もそうだと思う。だったら『70%の準備もしよう』ということを伝えています。」

選手に伝えるイメージやかける言葉の節々に、はっと気付かせてくれるような要素を含んでいるのだ。特に印象的だった言葉に、こんな表現がある。
この日の練習前、斎藤さんは、石川雅規投手とともに室内練習場に現れた。その際どんなことを話していたのか尋ねてみる。

「不安は、“消す”ではなく“減らす”ということを話していましたね。」

これほど実績も経験もある偉大な投手が、改めて“不安”というものについて口にする—そこにも驚きがあったが、それに対する齋藤さんのこの言葉には、彼自身の経験や人柄、懐の深さや引き出しの多さが滲み出ている。そして石川投手はこの取材から約1ヶ月後に高津監督から指名され、史上5人目の40歳開幕投手として、明日の神宮のマウンドに上がることになった。“不安”の存在が例年以上に大きいであろうイレギュラーなシーズンを戦い抜くうえで、この言葉も更に深みを増している。

メジャーリーグの経験をいかすことは「ビックリするくらいない」と語る彼だが、こういった言葉こそ、豊かな経験によって築かれたたくさんの引き出しのなかから、丁寧に紡ぎ出されるものなのだろう。



斎藤さんがコーチとして“貫きたいこと”があるという。
「“シリアスイズノーグッド”だからね。いいプレーは楽しみながらこそ生まれる。」

「あいつらの目の輝きとかワクワク感を失わせたくないなぁ。体は疲れてても、よし今日グラウンドに行ってあれやろう、マウンド行ってこうするぞ、というワクワク感とか。プロでありながらも、そこはね。」
一見、楽観的に感じるかもしれないこの言葉は、むしろ大切なことに導く。その影響を強く感じさせてくれるのが、今季4年目を迎えた寺島成輝投手だ。

寺島投手は2017年に1巡目指名として入団したが、その春季キャンプ中に左内転筋筋膜炎を発症し、その後も左肘の故障などけがに悩まされた。2年目の秋季キャンプからフォームの改造に取り組んでいる。3年目となる2019年シーズンを終え未だ一軍で未勝利。模索しながら苦悩のシーズンを送ってきた彼の活躍を、多くのファンが望んでいる。高校時代のような150km/hを超える豪速球を投げる彼が見たいというよりもむしろ—彼がマウンドで思い切り腕を振って投げる姿—斎藤さんが言うところの、“目の輝きとともにマウンドでワクワクする姿”こそ、私たちは見たいのかもしれない。

そんな寺島投手がまさに、変わりつつあるというのだ。
一軍バッテリーコーチとして斎藤さんとタッグを組み、斎藤さんも“特に感謝している“という衣川篤史コーチは、「寺島の、ブルペンでの姿勢が変わったと思う」と話す。
「去年(昨季)までは悩みながらっていう感じだったんですけどね。今年は自分から『あと何球、お願いします』みたいなね」と彼の積極性に変化があったことを明かす。
寺島投手は斎藤さんについて「話しやすいです。色んな相談に乗ってもらう」と語る。それは技術的な部分にとどまらず、「『夜眠れない』と相談したこともある」そうだ。どんなときも常に多方面からアドバイスをくれるという。

その寺島投手は6月14日の楽天戦、スワローズにとって開幕前最後の練習試合の4回裏、4点ビハインドの場面で登板した。
昨季—2019年7月20日、神宮球場で行われた二軍戦を観に行った時のことを思い出す。奇しくもこの日の対戦相手も、三木肇現監督が当時二軍監督を務めていた楽天だったわけだが、寺島投手は3回のマウンドに上がり、1イニングを投げ打者4人と対戦し1安打無失点に抑えたものの、この日は球速も最速で130km/h台後半。彼本来の姿とはかけ離れていただろう。帰り道は観戦していた友人と寺島投手の話題で持ち切りだった。
その時のマウンドでの姿が鮮明に記憶に残っていたせいか、先日の練習試合—先頭打者の内田選手が見逃した初球のインハイと、2球目高めに投げファウルで追い込んだ144km/hの“まっすぐ”を、感慨深く思った。
斎藤さんは“ワクワクする”ことの意義を「あくまで自分に対するチャレンジとか、チームのなかで競い合うことも。ネガティブなものじゃなくて、それは新しい自分に出会えたりとか—新しいチームになるということの、おおもとにあるんじゃないかと」と語った。もっとも、内田選手にはその後フルカウントからの6球目、真ん中高めの球をレフトスタンドに運ばれたわけだが—寺島投手は今まさにその途上なのだろう。楽しみにしたい。



斎藤さんはインタビューのなかで「電話が突然、高津さんからあって」と、ピッチングコーチの依頼を受けた時の状況も話してくれた。
「『監督に決まった』という報告と。で、すぐに『手伝ってくれるか?』と言われたので、当時(編成業務などに携わる形で)パドレスにいましたから—もちろん、外国人とか何とでも、可能な限りサポートさせてもらえますよ、というつもりで、ハイ、と言ったら、『ピッチングコーチやってくれよ』と言われて。『えぇー!』って、カラオケ以外ではなかなかあげない声を久しぶりに出してしまいましたね。」

この取材日の数日後であった2月14日に、50歳の誕生日を迎えた斎藤さん。
記念すべきピッチングコーチとしてのデビュー年は、思わぬ見えない敵と戦うことになった。

明るさと深い懐が築く選手との信頼関係。多くの経験が築く引き出しの多さ。選手のモチベーションを高める前向きな姿勢と、ひらめきをくれる表現。そんなものを持ち合わせた斎藤コーチが、この異例のシーズンを迎えようとしている選手たちに今もきっと、活力をもたらす言葉をかけているだろう。

そして“シリアスイズノーグッド”の姿勢で、前代未聞の今季にこそ、何かやってくれるのではないか—観ている私たちもワクワクできるシーズンが待っているかもしれない。




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