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依り代

木桶を丸太から作る時、割りガマという道具で木を割って作ります。木は自然の素材であるので曲がってたり、節(枝の丸太の内側にある部分)があったりします。真っ直ぐに割れる所は木桶の材料に、曲がって割れたりするところは木桶には使えない、昔は焚き物になっていました。

しかしその曲がりは木の成長の中で何十年、何百年の時間をかけて出来上がったものです。そこには自然界の変化、気候の変化、突然の落雷や台風で、折れたり曲がっ所を治して成長して来た丸太の生命力など、人為的にはなかなか作ることが出来ない美しい曲線を持っています。

その美しい曲線をなるだけそのままに、なるだけ人為的な加工を最小限に作ったシリーズがが
「依り代」の箱になります。

「依り代」と名付けたのはその形に神聖な美しさを感じるからです。自然が作り出した造形への敬意としてです。私の作るとしての行為はそれを木の中から掘り出す、丸太の表面からは見えない内包された形を、土の中から遺跡を発掘するように慎重に掘り起こして入り作業です。

この感覚は私だけのことではないのでしょう、この箱を見た人には「ヘソの尾を入れたい」とか、「弟の遺骨を入れたい」「父の遺品のを」「亡き友人から貰った大切なふでを」などそうゆい大切なものを入れるいれもの、「依れもの」として使いたいと感じて頂く方が多かった、日本人、カナダ人、イギリスの人など国や宗教を超えてそれは伝わりました。

依り代作りではなるだけ削らずに人為的な作業を極力排除して作ります。そして、木は形も曲線も全て同じものはないので同じものは作れない。一方で木桶作りはひたすら削り人為的な作業をする、木の真っ直ぐな部分を使いたくさん同じものはを生み出す作業です。

私はどちらの作業も大好きです。木桶だけをひたすら作っていた時には曲がった木は焚き物でしかなかった、でも今はそれらの木にも敬意を払っています。木に携わる仕事を、すればするほどその魅力は広がります。それは自己の表現ではなく、素材との共同作業感が強くなって来ます。むしろ主役が木、目の前の木が何になりないのかを考えかんじ続ける日々です。


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