講演原稿 「木桶の過去、未来、現在」

自己紹介・工房紹介
 はじめまして中川木工芸 比良工房を主宰しております中川周士と申します。よろしくお願いします。

まず初めに中川木工芸とは木桶や樽の製作技法である結い物を中心に指物、挽物、刳り物などの木工技術を用いておひつやすし桶などの生活用品を製作しています。
中川木工芸はおよそ90年前、私の祖父亀一が丁稚奉公から始まります。丁稚奉公とは昔の職人修行の中で広く用いられていたシステムで子供のころから奉公先の工房に住み込み生活を共にすることで早くから技術を身に付けより長く職人として仕事が出来るように考えられていました。

祖父亀一も9歳のころから京都の老舗の木桶工房に修行に入りそこから学校に通わせてもらいながら修行に励みました。正月とお盆には新しい着物を奉公先で買って頂いて里帰りするのが楽しみだったと聞いています。奉公先で40年ほど勤めて49歳で独立京都の白川に中川木工芸を開きました。亀一の引退とともに工房は父清司が引き継ぎました。清司は工業製品の普及で生活用品の中から木桶が消えていく流れの中で木桶の美術工芸品への展開を模索し、2001年、国の重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けました。現在も京都の工房を現役で主宰しております。

私はこのような木桶の製作の工房に生まれ幼いころから木と触れ合い育ってきました。大学は美術大学の彫刻科に進み鉄の現代美術を学びました。大学を卒業後も現代美術は続け平日は木工職人、週末は現代美術というどっちの転んでもモノづくりという生活を続け2003年に独立、滋賀県に自分自身の工房を立ち上げ 中川木工芸 比良工房を開きました。現在中川木工芸は京都と滋賀二つの工房により運営しています。

新しい木桶の登場
木桶を含む伝統工芸品の状況はこの半世紀大変悪いものでした。プラスチックなどの工業製品や家電といったものの登場で木桶の需要も激減し、木桶の工房も祖父のころ250件以上あった工房も今では4件ほどしか残っておらず、風前の灯火であるといっても過言ではありませんでした。このままでは木桶というものがこの世から消えてしますのではないかと危惧していました。

そんな中で2010年私は一つの新しい木桶を作り上げました。2年の試行錯誤の末完成した今までにない新しい形の木桶は運よくフランスのシャンパンメーカー ドン・ペリニヨンの目に留まり公式クーラーとして認定を受けることが出来ました。
それがこの写真のシャンパンクーラー コノハです。現代的なフォルムと今までになかつたシャンパンを冷やすクーラーという日本の伝統的な生活習慣になかったこの木桶は大変評判となり、伝統的な技術と新しいデザインが結びつくことにより道が開けていくといことを確信しました。そしてそれは日本の伝統的な生活様式で使われる伝統的な工芸品という立場から世界に扉を開きました。
現代の生活様式で通用する伝統的な技法を用いた新しいプロダクトとしての道を開いたのです。
コノハを作り上げたことにより私の新しい挑戦が始まりました。

※ここから写真を見ながらの説明が続きます。

デザインスタジオoeo デンマークのトーマスリッケのスタジオGOONとJapan hand made を立ち上げる

デザインスタジオ nendo 国内外で活躍するデザイナー佐藤オオキとスタジオ
滋賀の工房で2時間以上木桶の製作方法について少年のようなまなざしで質問をしていただいたのが印象的でした。

杉本博司 ニューヨークを拠点に写真から建築までを手掛けるアーテイスト、完璧なまでに洗練された彼の感覚は衝撃的でした。
 この作品は八つの桶をつなげつて中にLEDライトを中に仕込んでいます。

 もう一つの作品は杉本博司がベネチア建築ビエンナーレで発表したガラスの茶室でそこで使われる茶道具を製作しました、

Hands on Designイタリアと日本のデザイナーと職人により新しいプロダクトを製作するブランド

パナソニック:未来の家電をという考えのもとコラボレーションをミラノで発表しました。
これらの作品は長いカウンターテーブルにテクノロジーを見せない形で仕込まれたIH電磁調理器によりお湯を沸かしたり冷やしたりできる家電です。

生物は環境変化の中で様々な突然変異を繰り返し環境に適合したものが進化していくといわれています。
私は様々なデザイナーやアーテイストあるいはテクノロジーとコラボレーションしながら新しいものを作り続けています。これはある種の突然変異です。これらの突然変異の多くは淘汰されて消えていくでしょう、しかし一つでも二つでも環境に適合することが出来れば木桶が桶屋という仕事が100年後も残っている仕事になると考えています。

グローバルマーケットにおける工芸とGOON
現在における工芸を取り巻く環境についてお話しします。現在工芸を取り巻く環境は大きく変化してきています。ここ数年でその変化は顕著なものとなりつつあります。
10年以上前まで、特に西欧社会においてアートとデザインと工芸(クラフト)などのもの作りの中で、確固たる縦の序列が存在していました。アートは人間の精神性を表現するものとしての地位の頂点に君臨しデザインや工芸より高尚なものであるとされていました。ところがここ数年でそのピラミット型の地位形成が崩壊し始めているのです。アートとデザインと工芸が横並びにあるいは一体化した混とんとした状態になってきたのです。特に一番下だった工芸の重要性は日々高まってきています。
このことは2年前ロンドンで今までなかったクラフトウィークの開催や私も出品したスペインでのロエベクラフトプライズ、スイス バーゼルクラフトフェアー、上海で去年から始まったクリスティーズの現代の工芸のオークション、などなど世界中で工芸への注目が集まってきています。

これには例えばアップルのステーブジョブズのような一部の天才的なエリートが世界を変えてきた環境から多くの知の集合が世界を変えていこうとする時代の流れとも呼応していると考えています。

そのような環境の中で5年前京都の伝統工芸のメーカーたちで立ち上げたGOONというプロジェクトに参加しています。このプロジェクトは今まで業種別に横のつながりのなかった業界で他業種の若手が集まり立ち上げたユニットです。フィールドは海外の市場を中心とし、茶筒の開化堂、金網つじ、竹の公長齋小菅、西陣織細尾、焼物の朝日焼、そして中川木工芸、この6社で立ち上げました。
運が良かったのか時代の必然であったのかわわかりませんが、ヨーロッパやアメリカでも高い評価を受けています。
 このGOONのメンバーは職人だけのユニットではなく、ディレクターやマネージャーなど、その点でも多様性があり知の集合が一つの形になっていると考えています。この新しい知の形は閉塞した状況を打開するのに有効な方法論であると考えています。

 知の集合は空間的な知の集合だけではありません、職人が代々世代を超えて(必ずしも血縁だけではなく)時空間的な知の集合も指示しています。
 それはアートが求めて来た唯一無二の価値観にひけをとらない、いやそれ以上の価値を持っているのではないでしょうか
 アーテイストに二代目はいないなぜならアートは自己の表現を起点にオリジナルである事を大切にしている。その子供であろうと親と同じことしたならフェイクとみなされるからである。だからこそ唯一無二であることに価値はある。しかし工芸が扱う素材や技法の世界はあまりにも広くて深い、人間一人の人生の中で探求するには時間が短いだからこそ世代をわたって継承されている。そのことにもっと価値を見るべきだと考えます。

今、世界はそのことに気づき始めています。だからこそ工芸が注目されているのです

工芸の国と言える日本、中国を含むアジアはより重要性である、そして工芸品は人々の生活を支える道具である、そこにはイデオロギーや政治や宗教を超えて人々の生活の中から平和なつながりを作ることが出来るのではないかと考えます。

少し戻りますが木桶の製作技法につて少し説明します。木桶は箍と呼ばれるリングによって複数の木片を結びつけることで一つの木桶となります。そこには職人が代々培ってきたたくさんの知恵が含まれています。

「修理をして長く使い続けていくモノづくり」
完成した時が完成ではない
修理修繕をしながら大切に長く使っていくという考え方です。

エピソード
200年くらい前の馬たらいを修理した事があります。これはお寺からの修理で、昔車ではなく馬で移動していた時代訪ねて来た人の馬用の水を貯めておく桶です。真っ黒になった桶の中に少しだけ色の浅いものがあり200年の間に何度も修理しながら大切に使われて来たのが分かります。

木桶は もともと修理しやすいようにばらばらの木片をつなぎ合わせるという技法で作られています。傷んだパーツだけを交換できるからです。

木桶に使う木の種類は主に針葉樹で、桧、杉,槙、椹です。

木には大きく分けるとは針葉樹と広葉樹があります。

針葉樹は葉がとがった形の松や杉や桧、など広葉樹には、ケヤキや楠、桜、桐など、

木は種類によって木材としての性質が異なります。

楠はショウノウの原材料で、虫除けでタンスなど

桐は燃えにくいのでお金や大切な物をいれる金庫

木造建築には 土台や柱は腐りにいくひねりに強いヒノキ、梁など弾力のある松

天井板や欄間には年数が経つと美しくなる杉、屋根材には軽くて水に強い椹など、

一軒の家でも、木の性質によってさまざまに使い分けられています。

 最も的た物が最も適した場所に使う。

これは大昔から日本人が長い時間をかけて積み上げて来た大切な知恵です。

適材適所という考えには木のことだけでなく様々なことに役立つ考え方です。

昔の家は、鉄釘一本も使ってない

それはバラバラにして直してまた組み立てられるようになっています。

はじめからそのように作られています。鉄くぎを使うと錆びて抜けなくなり解体修理が出来なくなるからです。
また昔の民家は、人が住まなくなると数年でダメになると言われます。
人が住み風通しをし煙を上げ掃除をする。そんな何気ない生活自体が家を守ることでもあるのです。

そこには人の生活と共にあるという、日本人の人間も含めた自然観と深く関係していると思います。
家とともに生きる、自然とともに生きる。

よく言われるのは西洋は石の文化、東洋は木の文化と言われます。

西洋では、自然はコントロールするものと考えた。それは人間の不在の自然観

海底から何百年も前に遺跡が出てきたりする、それは絶対で永遠を求めた西洋の考え方、

(西洋においては厳しい自然環境は驚異であり人間が支配し管理すべきと考えた、)

アジアでは特に日本では豊かな自然があり,そこから様々な恵みを受け取る事が出来た、

だからこそ相対で移ろいゆく自然の恵みを大切にし、守り共にあるという考え方を持っている。

木桶に詰まっているたくさんのモノ

物を大切に永く使うという考え方、素材の性質を見極める知恵、適切に加工する技術など

木桶には大切なモノが沢山詰まっています。

木桶は日本の木の文化を象徴するものの一つだと思います。

生活の中ほとんど使われなくなってしまった木桶ですが、そこには大切の考え方、職人が手から手へと受け継いだ言葉じゃない哲学や精神性というものがたくさん入っています。それを次の50年、100年へと継承するために新たな木桶づくりに挑戦し革新、進化し続けていかなくてはならないと考えています。

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