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低空飛行

娘2歳が胃腸炎になり、息子0歳8ヶ月、妻へと感染し、僕は元気だけど、絶賛パパ見知り中の息子は当然のように僕の寝かしつけでは寝ず、1時間音量MAXで泣き続け、ちょっと回復した妻に任せて洗い物してたら寝てくれたので、洗い物してる間に考えてた自分の人生についてメモしておこうともいます。

僕はたぶん27歳くらいまでスーパー仕事人間で当然のように365日働いてたし、できるだけたくさん授業したいテンションでした。

早く何か仕事で目に見える結果を出さねばとか考えてたような気がします。

最近はというとスーパー家族人間で、授業の時間は極力抑え、午前〜昼は妻と子どもと公園に行って、帰ったらYouTubeの動画を作り、夜だけ授業、授業の後は家事をしながら映画を見たり、オーディオブックを聞いたり、猫と遊んだり、といった生活をしています。

学生の頃、母が多発性骨髄腫になり、できるだけ早く僕も家族を作って安心させなきゃなあとか、そういう思考があったようななかったような。

今思えばその頃、関正生先生に事務所に誘われて母の病気を理由に断ったところあたりから、僕のスーパー家族人間な人生は始まったのかなと思ったり思わなかったり。

その後、27歳で結婚し、マリー(猫)を家族に迎え入れ、29歳のときに関先生との共著『英語長文スペクトル』を出版し、ニコラ(猫)、娘、息子と順調に家族が増えていく中で、「仕事で結果を出さねば」「家族を作らねば」という気持ちが満たされ、さてどうするかと考えた時に、今は仕事よりも家族かなという気持ちに至ったのでした。

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まだまだ仕事の結果的には満足してないし、出したい本もあるし、取り組んでいる仕事には全力を注ぐのは変わらないけど、そんなに焦らなくてもいいよね、という気持ちになっています。

寿命が100歳まで伸びると言われてる時代なので、マリー3歳、ニコラ2歳、娘2歳、息子0歳と遊べるうちにたっぷり遊んで、教えるべきことをしっかり教えて、猫たちが一生を終えるまで、子どもたちが成人するまでは、仕事は低空飛行で、家族との時間をたっぷりとって、50歳くらいから頑張ればいいかなとも思っています。

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どのみち予備校業界は若手にチャンスが無いので、20年後に予備校がまだ存在してれば50歳ってたぶんちょうどいい。

好きな教え方ができるYouTubeやオンラインの仕事で生活が成り立ちそうでれば早期退職もいい。

最近遺伝子検査をして、僕はガンになりやすいみたいなので、極力体に負担をかけないようにします。

そして、仮に早く死ぬことになっても子どもたちがお父さんといっぱい過ごせてよかったと言ってくれるような生き方をしたいなと思います。

・・・

50歳になったらなったで、それまでたぶんなかなかとれない妻と2人で過ごす時間もとりたいので、生涯低空飛行のままかもしれないとも思いつつ、今日はこの辺で終わりたいと思います。

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