レポとかの記録というものについて

※基本、今までの活動(?)の振り返り的な話で、自分のやっていることを褒めてほしいという気持ちはちょっとしかありません。

10周年が過ぎて

声優・歌手である上坂すみれさんのライブやイベントに行くようになって、noteにイベントレポート・ライブレポートを書く、ということを始めてけっこう経つ。上坂さんは先日、アーティストデビュー10周年イヤーを完走されて節目の感があり、それでなんか振り返りの気分でこんな文章を書いている。

残らない文化

自分は別に上坂さんが出演するもの全通しているわけでもないし、参加したものも全部レポ書けてるわけでもないからそんな大層なことは言えないが、声優さんの活動ってけっこう「残らない文化」なんじゃないかなと思っていて、なのでできる範囲でできる形で・・・にはなってしまうが、残しておきたいなあと思っている部分がある。もったいないなあ、みたいな。

声優さんの活動というのは、もちろん人によるだろうが、主たる「アニメなどの作品に声優として参加する」ということ以外にも色々あって、その色々の説明は省くが、要はそもそもクローズドで参加・視聴できる人間が限られていたり、配信などで視聴できても期限があったりして、後からその様子を知ることが難しい、というケースがままあるわけだ。

残らないことの良し悪し

別に声優さんに限らないんだろうけど、コロナの時期を経て「配信」というものがそれ以前よりはかなり浸透した感はあるけど、それでも配信には視聴期限があったりして、それはたぶん契約とかの都合があるんだろうけど、基本的にはそうやって消えていくものが多い。
声優さんが個人のYou Tubeチャンネルがあったりするとそこで出される動画なんかは基本残ったりするが、生配信はアーカイブ期間限定とか、やはり残らないものもある。

ファンからすると残るにこしたことはないと思うが、出役の人の立場からするとそうとも限らないんかな、と思ったりはする。
つまり、映像とかに残らないからある程度好きなことが言える、とかそういう場面もあるだろうし、あとは気分的に楽、とか。

関連して、最近の上坂さんのインタビューの中で以下のようなお話があった。単独ライブを振り返ってのインタビューで、インタビュアーがライブ中のMC(トーク)部分に触れて、そこについての上坂さんの発言。以下に記事リンクを貼ってます。

――“幸せでも不幸せでも健やかでいてくれさえすればいい”とか“不幸せは時に価値がある”など、名言もたくさん生まれました。

それらの言葉は広い意味で、私の中での人生のテーマでもあるのですが、それをラジオやSNSで言うのはちょっと違うと思っていて。打ち上げ花火的に決して深く残るわけではないというところで、ああいうMCの中で言うのがちょうどいいのかなと。MCは毎回お客さんと一緒に作っているようなもので、公演ごとにいろいろ変わりますから、この映像を観て興味を持ってくださった方は、ぜひライヴの現場に足を運んでくれたら嬉しいです。

引用元:【上坂すみれ インタビュー】いろんな思い出と一緒に駆け抜けられるセットリストにできた
(※強調部分は筆者による)

細かいことを言えばこのライブのMCというのは映像(円盤)に残っていたりするので、「完全にその場限りのもの」というわけではないが、「ラジオやSNSで言うのはちょっと違うと思っていて」とあるように、やはり発言する側にとってそういう「場」とかメディア・媒体の違いによって言える/言いたいことの微妙な差異みたいなものがあるんだろうなと勝手に想像している。

そうなると、なんでも記録や映像に残ることがいいとは限らない(部分もある)んだろうな、という風に思える。

それからどうした

上坂さんはライブやイベントのレポについてはこれまで比較的好意的な発言をしてくださっていて、ありがてえなあと思う反面、上記のような考えもあるので、なんだろううまく言えないが、自分で自分のやっていることを全肯定できない部分というのがどうしてもある。

それでもたぶんやりたいと思えるうちは勝手にやっていることだろうと思う。「残らない文化」という話に戻るが(今さら「主語がデカすぎるのではないか」とか「業界論みたいになってないか」という懸念が出てきた)「残す」ということについて出役の人がどう思っている(感じている)かというのがもちろん大事ではあるが、なんかこう大げさに言うと「文化保存」的な面がもうちょっとあってもいいんじゃないか・・・色々と一過性すぎやしないか・・・とか、後年になって上坂さんを知った人が、上坂さんの歴史を辿ろうと思ったときに、公式な記録だけでもまあいっぱいあるだろうけど、それだけじゃないんだよな・・・とか・・・上坂さんの魅力ってそういうところに表れにくいものがいっぱいあるんだよ・・・とか・・・
とっ散らかってきたが、そういうものをできれば自分なりに残していきたい、という話。つまり自己満足です。


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