自分の傷を自覚することから

何が何だかわからないまま、とにかく『もう苦しい無理だ誰か助けてくれ』と思ってカウンセリングの扉を叩いた私ですが、一見とりとめのないようなことをただただ誰かに聞いてもらう(=受容してもらう)だけで、自分の考え方の癖や一番深いところに押し込めて見ないようにしていた問題などが浮かび上がってきます。通い始めのころは鬱状態がひどくてぼんやりとした記憶しか残っていませんが、特に具体的な助言をもらったような覚えもなく。とにかく思っていることを話して、聴いてもらうということに終始していたと思うのですが、それだけで自分の心や記憶の中を覗いて整理してみようという気持ちになるのは不思議ですね。プロに頼んでるんだから、そうなるのが当たり前なのかもしれないけれども。

私の中には様々な問題があるような気がしていたけど、結局苦しさの原因は自尊感情の欠如だったのかなあと今は思っています。自己肯定感が無いっていうやつ。自他をしっかり分けた上で、私は私であって大丈夫だと思えるっていうアレですよ。皆無!(もしそんな風に思えるように育った人がいるとしても、私はその存在を信じないだろうな)

そういう風に思えない要因を探ろうとすると、幼少期のことなど様々蘇ってくるわけなんですが…。まだこのnote上では育ちを振り返っていませんけど、思い出されるんですよね。親から受けた暴力や、暴言、存在否定、思考停止教育。それに気づくともう実家の家族とは会いたくなくなりました。どうしても会えないんです。動機や息切れに見舞われ、具合が悪くなっちゃって。

だから夫に訳を話して一旦実家と距離を置けるようにしてもらったのですけど、結局実家に裏切られまくりというか。今は私への直接の連絡は控えてほしいと夫から親へ伝えてもらったものの、守れないんですよ、両親が。何度も何度も何度も何度も連絡が来て、その度攻防して。呆れましたよね。どこまで私を無視するんだろう…どこまでも無視されるんだ私という存在は…って無力感。

実家の親は夫のことを信用していない。だから夫から言うだけでは埒が明かないのか。それもまた酷い話なんですが、そういうこと。

もう仕方ないと思って先日、私がどうしてこうなったのかを文書にして渡しました(直接は無理だからポストに投函)。書き終え、渡し終え、伝え終えた後、

ああ…私って思ったよりずっとズタボロだったんだ…

って思いました。

多かれ少なかれ、親との確執って誰もが持ってるものだと思います。

私は『自分のそれなんて大したことない』『もういい歳した大人なのに、昔のことでアレコレ言うなんてくだらない』と自分に言い聞かせ、全部水に流したつもりでこれまで生きてきました。でも誰かの辛さと比べるのでなく、自分が感じた辛さは『私はとても辛かった、悲しかった』と認めて良いんだということを本やツイッターなどで知り。そうすると思い浮かんできたあれやこれやの辛く悲しい実家の家族との記憶は、これまで見ないふりしていただけで、実はとても深い傷として残っているということがわかりました。私の場合は、一撃でついた類の傷ではなく、親の行為や言動が長年をかけて積み重なり、どんどんどんどん深くなっていったようなそんな傷です。

親への想いを文書にしながら、思ってること全部正直にぶちまけてやろうかとも思ったけど、そこは言葉を選んで。まだ選んでしまう自分に優しさと嫌気を感じつつ書き終えて、渡して。

ようやく実家の家族も解ってくれたようです(たぶん。まだ怯えてしまうけど)。

これからどうなっていくのかまだ全然見えてきませんが、また改めてここから自分を取り戻していけたらいい。

未だに少し、37にもなって何してんだろって思うこともあります。今はそんな自分にもOKを出していようと思います。全ては受容から!


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