#059 逃走のススメ
「痛み」はなぜあるのか?
痛みという感覚を好ましいと思う人はあまりいません。しかし、であるにも関わらず、私たち人間をはじめとした霊長類がこの感覚を備えている理由はなぜなのでしょうか。生物は、進化のかなり早い段階で「痛み」という感覚を備えるようになったことが知られています[1]。
これはつまり、生物の進化という過程において「痛み」という感覚を持っていることが、個体の生存・繁殖に関して有利に働いたということです。この示唆を上下にひっくり返してみれば、痛みの感覚に鈍くなるということは、その生物の生存・繁殖にリスクをもたらすということになります。
さて、一般に日本では「痛み」に代表されるネガティブな感覚・感情に対して「我慢する」ことが美徳だと考えられていますね。深刻な事故が相次いでいるにも関わらず、なぜか一向に廃止される気配のない小学校の組体操に関する指示書を先日読ませてもらったのですが、デカデカと「痛いのはみんな同じ、弱音をはかない」などとトンデモナイことが書いてある[2]。このようなことを平気でいう人は、なぜ生物が「痛み」という感覚を進化の過程で持つに至ったのかということを今一度考えてみてはいかがでしょうか。
世の中には「痛みを感じない」という人がいます。これはもちろん「我慢強い」という意味ではなく、疾患として「痛覚の神経を持たない」という意味です。そして、とても気の毒なことですが、このような疾患の持ち主は長生きできない、統計的に短命であることが知られています。普通の人なら痛いと感じるようなことでも平気でやってしまい、火傷したり骨折したり脱臼したりしているのにそれに気づかない。痛覚がないのですから当たり前です。
仕方がないので、なにが危険なのかを「知識」として与え、気をつけるように注意する、何かに触れたら怪我をしていないかをチェックするといったことを指導するわけですが、現実にはそこまでやったとしても長命は望めないことがわかっています。立っているときに足が痛いので少し体重を移動する、あるいは寝ているあいだに背中が痛いから寝返りをうつ、といったことすら「痛みの感覚」がないとできず、知らず知らずの間に普通の人なら当たり前に避けられる過度な負担を身体にかけてしまうのです。これを逆にいえば、私たちは普段、きわめて巧妙かつ無意識のうちに「痛み」を避けており、それが健康の維持に重大な影響を与えている、ということです。
どんなに知識として「なにが危ないのか」を理解させ、適応させようとしても、普通に「痛み」を感じる人ほどには長生きすることはできない。この事実は非常に示唆深いと思います。私たちは自分たちのキャリアや人間関係について、まさに「なにが危ないのか」「どうすれば良いのか」といった抽象的な知識を得るために大そうな額のお金を支払っていますが、そのような知識そのものを習得するよりも、判断が求められるその瞬間、つまり「いま、ここ」において自分の身体がどのように反応しているかを敏感に感じとる力の方が、はるかに重要だということになります。
さて、このような指摘に対して「皮膚感覚としての痛覚と人間関係における痛みは異なるのではないか」という反論があるかも知れません。さもありなん、というもっともな反論ですが、これがどうもそうではないらしいのです。
興味深い実験があります。三人でテレビゲームのバレーボールをやってもらい、トス回しを何回できるかを競ってもらいます。実はこのとき、人間であるプレイヤー一人をのぞいて、残りの二人はコンピューターがプレイしているのですが、人間のプレイヤーはそれを知りません。トス回しですから、三人全員が味方なわけですが、実はこのコンピューターにはある仕掛けがしてあって、パス回しが一定の段階まで進むと、人間であるプレイヤーに対してトスを出さないように設定してあります。
つまり「仲間はずれ」にされるわけです。「仲間はずれ」にされていると感じた時の、何ともいえない嫌な、切ない感じは皆さんもわかるでしょう。このとき、仲間はずれにされた人の脳の反応をMRIで測定したところ、皮膚感覚の「痛み」を感じる脳部位と同じ領野が活動したのです[3]。
私たちは何気なく「心が痛む」とか「胸が痛む」という表現をしますが、実はこれはきわめて的を射た表現で、私たちは、もともと進化の過程で獲得した「痛み」という感覚を、社会的な局面における評価にも用いているらしいのです。
もちろん「痛み」という感覚は、もともとは「仲間はずれにされた」といったような社会的な状況を評価するために獲得されたわけではありません。あくまで身体が損傷を受けそうな場合、あるいは損傷が実際に発生した場合に、それをできるだけ早く察知し、「痛み」を避けることで個体の生存・繁殖に有利になるように形成された感覚システムです。この非常によくできたシステムを、ただの「痛み」だけの検出に使うのはもったいない、ということで、これを「社会的な痛み」の検出にも使われるようになったわけです。
これは生物学の世界では「前適応」と呼ばれる概念です。もともと別の目的のために獲得された形質や能力が、環境の変化に適応するようにして別の用途に使われるようになる。鳥類の羽はもともと爬虫類が保温のために進化させた形質ですが、飛翔という行動にも適用されるようになったという点で典型的な「前適応」で、本書ですでに紹介した哲学用語でいえばまさにブリコラージュということになります。
話をもとに戻しましょう。「痛み」という感覚が、極めて個体の生存にとって重要な感覚なのであるとすれば、私たちは、自分たちが感じる「痛み」という感覚を尊重し、この「痛み」に対して忠実に行動するべきだということになります。そう「逃げる」ということです。
「逃走」は最も有効な戦略
危機に直面した生物は「戦う」か「逃げる」かのどちらかの選択を瞬時にします。では人間はどうかというと、多くの場合はこの二つのオプションを取るよりも「じっと耐える」「なんとか頑張る」という選択をします。多くの人間が採用するこの選択肢を選ぶ動物がいない理由はなんだと思いますか。実に単純でそのような選択をした生物は絶滅してしまった、ということです。つまり、危機に際して「じっと耐える」とか「我慢してやり過ごす」というのは、個体の生存という観点からは非常に不利な「悪いオプション」だということです。
私たち日本人は幼少期から「逃げてはいけない」という規範を叩き込まれます。しかし考えてみれば、生物の生存戦略として最も広範囲に用いられている戦略が、人間の世界において厳しく戒められているというのもおかしな話です。なぜ、私たちは「逃げる」ということをネガティブに考えてしまうのでしょうか。このような規範が社会的に淘汰されずに今だに残存しているということは、「逃げない」という規範に社会システムを効率的に機能させる合理性があったということでしょう。
理由は二つあります。一つ目の理由は「逃げる人」が出てくると、自分の選択に自信が持てなくなるからです。これは転職の局面を考えてみればわかりやすい。同期入社の中から転職者が出てくると「自分もこのままでいいのか」という一抹の不安にとらわれることになります。この不安を払拭するためには「逃げる」ことを戒めるというのが一つ目の理由です。
二つ目の理由は、逃げる人が出てくると他の人の負担が増えるからです。コミュニティを維持するためには何らかのルーチンワークが必要になります。この仕事をコミュニティの構成員で割り振って分担することになるわけですが、ここで逃げる人が出てきてしまうと他の人が逃げた人の仕事を肩代わりしなければなりません。これはコミュニティのメンバーにとっては大きな負担になります。なので「逃げてはいけない」ということが規範化されるわけです。
確かに、ある場所から逃げれば、そこで担っていた役割は他の誰かに肩代わりしてもらうことになります。これを心苦しく感じて「逃げてはいけない」と考えて頑張り続けてしまう人が多いのでしょうが、その結果として心身を壊してしまっては元も子もありません。上手に「逃げる」ことは戦うも上で極めて重要な能力になります。
これが最も端的に現れるのが軍事における「撤退」の局面です。例えば疑心南北朝時代に編まれた有名な兵法書「兵法三十六計」の最後には「走為上=走るを上と為せ」という項目があります。これはつまり「逃走は最善の策である」という意味です。有名な孫子の兵法にも同様のメッセージがあって、つまり「勝ち目がないとわかった時には損失を最小化するために迅速に撤退する」のは戦略的に極めて正しいということです。
一方で、これをなかなかできずに国を滅亡の寸前まで追い込んでしまったのが旧日本軍のエリート軍人達でした。太平洋戦争の戦死者はおよそ300万人と推計されていますが、死者の多くは最後の一年に出ています。これは一般人の犠牲者についても同様で、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下などはすべて1945年3月以降のことです。1942年のミッドウェー海戦で主力空母を四隻失った時点で講和をしていれば、あそこまで大きな犠牲は出さずに済んだはずです。これもまた「逃げる」ことが上手にできなかったことで生まれた悲劇ということができます。
パラノとスキゾ
特に現代のようなVUCAで先読みの難しい社会では、多くの人が人生のどこかで「逃げる」というオプションを取らざるを得ない局面がやってくると思われます。思想家・評論家の浅田彰は著書「逃走論」の中で、フランスの思想家ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著による「アンチオイディプス」のなかで用いられた「パラノ」と「スキゾ」という概念を援用しながら、不確実性の高い世界において「逃げる」というオプションを持っていることの重要性について次のように指摘しています。
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