クリティカル・ビジネスの原理構造

なぜ、21世紀に入ってから、社会運動・社会批判としての側面を強く持つビジネス=クリティカル・ビジネスの存在感が増しているのか?この記事では、クリティカル・ビジネスが経済にもたらす影響の構造について説明したいと思います。

原理を考察する前に、まず私たちが「いま、どこにいるのか?」という点について押さえておきましょう。

下図を見てください。これは世界銀行が発表している先進7カ国、いわゆるG7の国別GDP成長率の推移を時系列でまとめたものです。データは2019年までの集計であり、コロナの影響は含まれていません。

一瞥してわかる通り、先進七カ国の経済成長率は、GDP統計を取ることがはじまった1960年代をピークに、過去を一度として上回ることなく、着実に低下してきていることがわかります。

先進7カ国のGDP成長率 出所:世界銀行

このグラフをみると、現在の世界で喧しく議論されている「成長か、脱成長か?」という議論が、そもそも論点として破綻していることがわかります。「成長か、脱成長か?」という議論は、私たちの意志によって、どちらかの選択肢を選ぶことが可能だということが前提となっていますが、このグラフを見る限り、私たちに選択の余地はありません。世界は超長期的なトレンドとして必然的な「脱成長社会」・・・少しマイルドに表現するのであれば「微成長社会」に向かっているということです。

テクノロジーとイノベーションによる経済成長という考え方は宗教

しかしこれは、考えてみれば不思議なことではないでしょうか?私たちは、1990年代におけるインターネットの普及、あるいは2000年代におけるスマートフォンの普及、あるいは2010年代における数々のテクノロジーイノベーションの普及によって、大きく社会が変容し、私たちの生活もまた変化したことを知っています。しかし、その変化が経済成長率には反映されないのです。

数々のテクノロジーイノベーションの普及があったにもかかわらず、経済成長率が低下の一途を辿っていて反転の兆しが見られないという事実は、よく言われる「テクノロジーとイノベーションによって経済成長を牽引できる」という指摘は、一種の宗教だということになります。なぜ宗教かって?科学的なエビデンスがないにも関わらず、そう信じたい人が信じているに過ぎないからです。

2019年のノーベル経済学賞を受賞した二人の経済学者、経済学者のアビジット・V・バナジー とエステル・デュフロ は、過剰なテクノロジーへの根拠なき過剰な期待について、近著で次のように述べています。 

フェイスブックのCEOマーク・ザッカーバーグはインターネットの接続性が計り知れないプラス効果をもたらすと信じているが、そうした信念を共有する人は大勢いるらしく、多くの報告書や論文にそれが反映されている。
たとえばアフリカなど新興国に特化した戦略コンサルティング会社ダルバーグが発表した報告書には「インターネットが持つ疑う余地なく膨大な力がアフリカの経済成長と社会変革に寄与することはまちがいない」と書かれている。
この事実はほとんど自明なので、あれこれ証拠を挙げて読者を煩わせるまでもないと考えたのだろうか、何のデータも引用されていない。これは賢い判断だったと言うべきだろう。そんなデータは存在しないからだ。
先進国に関する限り、インターネットの出現によって新たな成長が始まったという証拠はいっさい存在しない。IMFはいかにも歯切れ悪く「インターネットがもたらした経済成長への貢献は現時点でなんとも言えない」としている。

アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ「絶望を希望に変える経済学」

なぜ、数々のテクノロジーイノベーションが起きているにも関わらず、経済成長率は低下の一途を辿っていて反転の兆しがないのか?経済学者はこの不思議な現象についてさまざまな考察を繰り広げていますが、最大公約数としての回答をここで述べれば「社会に残存する問題が少なくなってしまったから」ということになります。

資本主義と市場原理は「大きな問題」から解決する

ビジネスはこれまで、それぞれの時代において、社会に存在する問題を解決することで経済的価値を生み出してきました。したがって、社会に残存する問題が減ってくると、経済は停滞することになります。

図Xを見てください。これは社会に存在する問題を「普遍性」と「難易度」のマトリックスで整理したものです。

「問題の普遍性」と「問題の難易度」のマトリックス

ビジネスの役割を「社会に存在する不満・不安・不便という問題を解決すること」と定義した上で、世界に存在する問題を全てこのマトリックスに投げ込んで整理すると考えてみてください。

横軸の普遍性とは「その問題を抱えている人の量」を表します。つまり「普遍性が高い問題」ということは「多くの人が悩んでいる問題」ということになります。逆に「普遍性が低い問題」ということは「ごく一部の人が悩んでいる問題」ということになります。

一方で、縦軸の難易度とは「その問題を解くのに必要な資源の量」を表します。「難易度の高い問題」ということは「解決するのに人・モノ・金といった資源がたくさん要る」ということになります。逆に「難易度の低い問題」ということは「解決するのに人・モノ・金といった資源が少なくていい」ということを表します。

さて、このように整理された問題を、これまでの社会がどのようにして解決してきたかを考えてみましょう。

資本主義の持つ「最もリターンの高いところに資本は集まる」という構造的な原理を踏まえれば、市場はまず右下のAのセルから問題を解決します。このようにしてAの領域に取り組む起業家が増えてくると、やがてこのセルの問題の多くが解消されたという状況に至ります。

すでに解決された問題を二番目、三番目に解いても得られる限界リターンは小さくなっていく・・・つまり経済学でいう限界効用逓減が発生しますから、このような状況に至ると、後からやってくる起業家は別の問題に取り組む必要があります。

資本主義と市場原理の限界

さて、このようにして「問題の探索とその解決」を連綿と続けていくと、やがて「問題解決にかかるための費用」と「問題解決で得られる利益」が均衡する限界ライン、下図にある「経済合理性限界曲線」にまで到達してしまうことになります。

このラインの上側に抜けようとすると「問題解決の難易度が高過ぎて投資を回収できない」という限界に突き当たり、このラインを左側に抜けようとすると「問題解決によって得られるリターンが小さ過ぎて回収できない」という限界に突き当たります。

つまり、このラインの内側にある問題であれば市場が解決してくれるけれども、このラインの外側にある問題は原理的に未着手にならざるを得ない、というラインが出てくるのです。

市場は経済合理性限界曲線の内側の問題しか解決できない

ミルトン・フリードマン に代表される市場原理主義者は、政府は余計なことはせずに市場に任せておけばあらゆる問題は解決していくと主張したわけですが、それは経済合理性限界曲線の内側にある経済的課題だけで、ラインの外側にある社会的課題は原理的に解決できません。

必然的な結果として、新たな問題を生み出すことができない限り、時間を経るごとに「小さな個人的問題」と「大きな社会的問題」だけが社会に残存することになります。

ここでポイントになるのが、市場原理の枠組みの中では「社会的問題」は解決されにくい、ということです。なぜなら、人が身銭を切って解決するのは、まずは何をさて置いても個人的問題だからです。

そして、社会に残存するのが「小さな個人的問題」と「大きな社会的問題」だけになったとき、経済成長はそこでストップすることになります。いかにテクノロジーが著しく進歩しても、画期的なイノベーションが起きたとしても、そもそも「解決されることで価値が生まれる問題」がなくなってしまえば、経済成長率はそこでストップすることになります。

そしてこれが、まさに先進国でいま起きていることだと考えられます。

本当にパラドキシカルなことだと思います。大きな問題を解決することで経済価値を生み出して成長した企業は、さらなる成長のために新たな問題を求めます。しかし、成長すればするほど、時間が経てば経つほど、社会に残存する問題は小さくなり、すでに大きくなった企業にとっては魅力的な問題とはなり得ません。

クリティカル・ビジネス・パラダイムによる構造転換

先述した通り、資本主義と市場原理は、確かに過去百年において、数多くの問題を解決してきました。結果として、切実な個人的問題の多くはすでに解決され、現在、社会に残存しているのは「小さな個人的問題」と「大きな社会的問題」の二つになっています。

ここに市場原理と資本主義の限界が露呈し、テクノロジーがいかに進歩しようとも、イノベーションがいかに画期的なソリューションを生み出そうとも、経済成長の長期的停滞という状況に至っています。

しかしもし、残存している「小さな個人的問題」と「大きな社会的問題」を、多くの人が「自分ごと」として捉えるようになったら、何が起きるでしょう。そう、経済性限界曲線は無効化し、市場原理の外側にあって解決されることのなかった問題は、市場原理の内部で解決を図ることが可能な問題に転換されることになります。

現在の社会で進行しているクリティカル・ビジネス・パラダイムの台頭は、まさにこれです。

従来は「小さな個人的問題」あるいは、自分に関係のない「大きな社会的問題」として、手を付けられることのなかった問題が、クリティカル・ビジネスを通じた社会の啓発と、ニュータイプによる共感の拡散によって、多くの人たちにとって「大きな個人的問題」として意識されるようになった結果、これらの問題を解決するクリティカル・ビジネスが資本主義・市場原理の中で存在感を増しているのです。

「未来の他者」への共感が経済を動かす

ここから先は

1,427字 / 1画像
この記事のみ ¥ 1,000

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?