#052 「チャンスが来ない」と嘆く人の特徴

人生を変えることになる打席は、思いもかけずにある日、突然にやってきます。そして、その一回きりの打席で周囲を魅了するような鮮やかなホームランが打てるかどうかで、その人の人生の放物曲線の角度は大きく変わってしまう。

ここでポイントになるのが、その打席は「いつやってくるかわからない」ということです。というのも、私たちはなかなか「いつやってくるかわからない打席」のために、地道な準備をすることができないからです。そして、多くの人は「チャンスが来たら、その時に頑張ろう」と考えてしまう。

しかしそれでは、突然やってきた「人生を変えることになる打席」でかっ飛ばすことはできませんし、そもそもそのようなパースペクティブを持って日々を怠惰に過ごしている人にはチャンスすら与えられない、ということもできるでしょう。

地道な準備をずっと続けている人のところにチャンスはやってくる、ということを実例としてわかりやすく示してくれるのが、昭和を代表するギャグ漫画のレジェンド、赤塚不二夫です。

最終的に大きな成功を収めた人であっても、キャリアの初期段階で不遇を囲っていた人は少なくありません。「天才バカボン」や「おそ松くん」などの独創的なギャグ漫画で一時代を築いた赤塚不二夫ですが、恐らくはその革命性・独創性ゆえだったのでしょう、決して漫画家としてのデビューはスムーズなものではありませんでした。

今でこそ「ギャグ漫画の巨匠」としてつとに知られる赤塚不二夫のデビュー作は、意外なことに少女漫画だったのです。まだギャグ漫画というジャンルそのものが存在していない時期のことです。市場の需要と赤塚不二夫の才能には大きなギャップが横たわっていました。

デビュー当初の赤塚は少女漫画の単行本を3〜4ヶ月に一冊のペースで描く、いわゆる「貸本漫画家」で、原稿料の前借をして漫画を描く自転車操業状態にありました。漫画家になりたくてトキワ荘にやってきたものの、依頼されるのは本人が希望していたギャグ漫画ではなく、少女漫画ばかり。

兎にも角にも食っていかなければいけない、という状況下で、仕事の選り好みができないということもあったのでしょうが、本人は「このままでは将来に希望は持てない」と考え、一時期は漫画家を廃業してキャバレーの住み込み店員になろうと思った時期もあったようです。

普通であれば、自暴自棄になってしまい、怠惰で安寧な日々を過ごすことになるか、あるいは逆に、自分がやりたいことはこれじゃないけど、食っていくためには仕方がない、と妥協しておとなしく少女漫画の世界で生きていくことを選んでしまうのではないでしょうか。しかし、赤塚不二夫はそのどちらでもなく、あくまで本人が心底やりたいと考えているギャグ漫画にこだわり、一日に一つずつ、ギャグ漫画のネタを考え、それをノートにつけることを継続していました。

そろそろ漫画家稼業も限界か、と感じていた頃、その「打席」がやってきます。ある週刊少年漫画誌で、他の連載に穴があき、急遽16ページの原稿が必要になったのです。泡を食った担当編集者がトキワ荘のリーダー格だった石森章太郎に相談したところ、石森は赤塚不二夫を即座に推薦します。理由を問われた石森は一言。「彼は天才ですから」

担当編集者からしたら「え?あの赤塚不二夫が?少女漫画を描いている人でしょう?」という気持ちだったでしょう。半信半疑で赤塚不二夫のところへやってきた編集者に、赤塚不二夫は数年来のあいだ書き溜めていたギャグ漫画の原稿を次々と見せていきます。結果は「どれもこれもメチャクチャ面白い!」。即座に掲載が決まり、赤塚不二夫は徹夜で原稿を仕上げ、それが少年漫画誌へのデビュー作「なまちゃん」となったのです。

さて結果はどうであったか。当時の漫画雑誌では付録されている人気投票のハガキによって漫画家の評価が決まる仕組みになっていたのですが、「なまちゃん」はこの読者投票でも非常に高い評価を獲得し、ここにギャグ漫画家、赤塚不二夫がついに誕生します。

赤塚不二夫はまさに、突然やってきた「人生を変える打席」でホームランを放ったのです。こうなると市場側も赤塚不二夫を放っておきません。編集者は間髪をおかず、四回連載で終了する読み切りのギャグ漫画の依頼をし、赤塚不二夫は乾坤一擲の衝撃を読者に与えるべく、全力を尽くして独創的な作品を描きます。作品タイトルは「おそ松くん」。

さて、自信満々で掲載された「おそ松くん」ですが、前回の「なまちゃん」のように、ビビッドな反応が読者から返ってきません。「つまらない」とか「くだらない」ということではなく「反応がない」のです。

「おかしい、外したか」と思った担当編集は当初の予定通り、四回の連載で打ち切ることにしますが、そこへ読者から大量の「なぜ止める」「続けろ」「また読みたい」「死ぬほど面白い」という苦情が殺到します。つまり「おそ松くん」のあまりの独創性・革新性ゆえに、読者側の「面白さのメーター」が振り切れてしまって計測不可能になり、読者投票に即座に反応が現れなかった、ということだったのです。結果的に、この連載は長期のものとなり、「おそ松くん」は「天才バカボン」と並ぶ、赤塚不二夫の代表作となっていきます。

不遇をかこっている時期において、やがてやってくる「人生を変える打席」に向けて、どれだけ地道な準備を進められるか。その準備の蓄積量によって「人生を変える打席」での飛距離は変わります。

これは何も赤塚不二夫だけでなく、恐らくは「大きなチャンスを掴んだ人」に共通しているものでしょう。20世紀後半を代表する指揮者のレナード・バーンスタインは、ニューヨークフィルでアシスタントを勤めていた25歳のとき、インフルエンザにかかって指揮できなくなった巨匠、ブルーノ・ワルターの代役としてカーネギー・ホールで指揮したところ、この演奏がニューヨークタイムズで絶賛され、一夜にして世界的なスター指揮者の仲間入りを果たしています。

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