資本主義のハッカーたれ

この世界には二種類の人間がいます。

一つは、この世界を「そういうものだろ」「仕方がない」と受け入れ、そのなかでうまく立ち回って生きたいと思っている人です。

もう一つは、この世界をなにかおかしい、理不尽なものだと感じ、それを変えたいと思っている人です。

私が著作や講演を通じて訴えかけている相手は、常に後者のような人々・・・世界に満ちている不合理や不条理に憤っていて、それを変えたいと思いながらも、巨大な敵を前にしてどのように行動を起こしたらいいか、考えあぐねている人たちです。

私は、そのような皆さんに、これから「資本主義のハッカー」となることを提案したいと思います。

私たちが依拠している社会システムを外側からハンマーでぶっ壊すのではなく、静かにシステム内部に侵入しながら、システムそのものの振る舞いをやがて変えてしまうような働きをする静かな革命家たち。

これから世界の様々な箇所で、このような思考様式・行動様式をもった人々の台頭を私たちは目にすることになるでしょう。彼らこそ、21世紀の社会変革を主導する「資本主義社会のハッカー」です。

二十世紀前半に活躍したドイツの哲学者ハイデガーは「世界劇場」という概念を通じて、現存在=我々の本質と、我々が社会において果たしている役柄は異なっていると考えました。

舞台で演じる役柄のことを心理学ではペルソナといいます。ペルソナというのはもともと仮面という意味ですね。実際の自分とは異なる仮面を身につけて、与えられた役柄を演じる。

英語では人格のことを「personality」といいますが、この言葉はもともとペルソナからきています。そして、すべての人は世界劇場において役割を演ずるために世界という舞台に放り出されている。

これをハイデガーは「企投」と名付けました。そして企投された人々が、世界劇場における役柄に埋没していくことを耽落=Verfallenと名付けました。

ここで問題になってくるのは「原存在と役柄の区別」です。多くの人は、世界劇場で役柄を演じている耽落した自分と、本来の自分を区別することができません。

いい役柄をもらっている人は、役柄ではなく自らの原存在を「いいもの」と考え、ショボい端役をもらっている人は、役柄ではなく自らの原存在を「ショボいもの」と考えてしまう。

そして、当たり前のことながら主役級の役柄をもらっている人はごく少数に過ぎません。多くの人はショボい端役を与えられた大根役者として世界劇場の舞台に立つことになり、役柄を演じるのに四苦八苦している一方で、役になりきって高らかに歌い踊る主役級の人々を喝采しつつも、陰で「ああはなりたくはないよね」という態度を取ってしまったりする。

この世界が健全で理想的な状況にあると思っている人は世界に一人もいないでしょう。つまり世界劇場ということでいえば、この劇の脚本は全然ダメなのです。

従って、この世界劇場の脚本は書き換えられなければならないわけですが、ここで浮上してくるのが「誰がその脚本を書き換えるのか」という論点です。これが難しい。

というのも、脚本を修正できる立場にあるのは大きな影響力・発言力を持っている大物の脚本家や監督ということになるわけですが、少し考えてみればわかる通り、こう言った人たちには現在の脚本を書き換える理由がありません。

彼らはこの世界劇場という舞台の上で、美味しい役を演じているわけですから、脚本を大きく変更するインセンティブがないのです。

これはつまり、いまの世界劇場に完全には適応できていない人、端役を押し付けられた人たちこそが変革者になりうるということを意味しています。

このような人々が、やがて資本主義社会のハッカーとして世界を変えていくことになるでしょう。

しかし、そのようなことは可能なのでしょうか?もちろん可能です。

今から百年前の世界を思い返してください。当時の社会では、女性には選挙権が認められておらず、生まれつきの経済格差が当たり前のものとして容認され、多くの子供が過酷な肉体労働を課せられ、河川には猛毒の産業廃液が未処理のままに垂れながされていました。

現在の私たちからすれば信じられないようなディストピアが「そういうものだ」と諦めている人たちによって受け入れられていたのです。しかしでは、なぜこれらの営みや習慣は、今日の社会において根絶されたのでしょうか?

言うまでもありません。「これはおかしい」とアクティブに声を上げた人たちがいたのです。彼らの多くは歴史に名を残すような革命家ではありませんでしたが、私たちの社会が、当時のそれよりも少しはマシなものになっているのだとすれば、それは彼ら・・・かつての「名もなきハッカーたち」のおかげなのだということを私たちは忘れてはなりません。

私たちはバトンを受け取っているのです。

だから、私たちもまた、受け取ったバトンを次世代へと受け渡していかなければなりません。

何を言っているかというと、現在の私たちが「そういうものだ」として受け入れている現在の社会もまた、百年後の人々からすれば「なんと愚かだったのか」という営みや習慣に満ちているということです。

クリティカルであることを忘れてしまった人々、現在の世界を「そのようなものだ」と受け入れてしまっている人々にこの「愚かさ」の修正を期待することはできません。

静かにシステム内部に侵入しながら、システムそのものの振る舞いをやがて変えてしまうような働きをする静かな革命家たち、「資本主義社会のハッカー」が求められているのだと思います。

ありったけの革命的情熱をもって君を抱擁する
Te abraza con todo fervor revolucionario

エルネスト・チェ・ゲバラ


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