経営者の莫大な報酬は合理化できるのか?

昨今、経営者の報酬額は上昇するばかりで止まるところを知りません。しかし、素直にこういう疑問を持ったことはありませんか?

この人たちは、何億円、何十億円もの報酬をもらっているけれど、本当にそれだけの報酬に見合うような価値を生み出しているのか?と。

いま、この記事を読んでいる人のほとんどは、ある個人が受け取る報酬の額は、その人が生み出した成果に応じて決定されるべきだ、と考えているでしょう。

さらにまた、組織の上層部にいるエグゼクティブの報酬は、より厳密に成果を精査された上で決定されるべきだ、とも考えているでしょう。

もし、この二つの条件が満たされているのであれば、プライベート・エクイティ・ファームのエグゼクティブが受け取っている数百億円の報酬は、どのように合理化されるのでしょうか?

彼らが、その報酬に見合うだけの成果を生み出していることを合理的に説明できる人がいるのでしょうか?

長らく経済学では、労働市場による需給調整の働きが社会の新陳代謝を促す、という考えから、労働市場が健全に機能している限り、報酬については余計な操作はするべきでない、という考えが支配的でした。

ワシントン大学の社会学者である著者のゼイク・ローゼンフェルドは、著書「給料はあなたの価値なのか』においてさまざまな研究結果・実証データを用いながら、その考えがいかに破滅的に誤っているかを徹底的に論証している。

なぜ労働市場はうまく機能しないのでしょうか?

ローゼンフェルドは本書において、報酬は次の四つの要素によって決まる、としています。

  1. 権力=報酬額を決定し、受け入れさせる力

  2. 慣性=これまでの報酬額の推移

  3. 模倣=他社における同種の仕事の報酬額

  4. 公平性=自分と周囲の報酬額の関係

驚くべきことに、報酬は決して成果によって決められているわけではない、ということです。私たちの多くが「成果によって報酬が決まるべきだ」と考えているにもかかわらず、なぜこのようなことが起きているのでしょうか。

ローゼンフェルドはそもそも、私たちが持っている報酬についての常識や考え方に大きな問題がある、と指摘しています。端的に言えば「成果によって報酬が決まる」という理想は、現実には「実行不可能な神話に過ぎない」というのです。ローゼンフェルドの指摘を引きましょう。

このモデルは三つの間違った前提の上になりたっている。すなわち、労働者の限界生産物というものが存在する、それは計算できる、それにもとづいて給与を払うのはいい考えだ、という前提だ。

これは衝撃的な指摘です。

私たちの社会に強固に根付いている報酬制度の基本的な考え方を支える三つの大前提が「全て間違っている」というのですから。しかし本書を読めば、その指摘を受け入れざるを得ないと感じると思います。

例えば「労働者の限界生産物というものが存在する」という前提について考えてみましょう。私たちの多くは組織に働いて仕事をしています。ではこの時、組織が生み出した成果は個人の生み出した成果の総和なのでしょうか?

少し考えればわかるとおり、これは気の遠くなるような分析・検証が必要だし、仮にそれが出来たとして、その結果に全ての人が納得するとはとても思えません。

なのであれば、なぜ私たちは未だに、この神話にしがみつき、非常なストレスを感じているのでしょうか。

ローゼンフェルドは、私たちの多くが信じているこの神話をうまく利用し、一部の権力者が莫大な額の報酬を受け取ることを正当化しているせいで、今日のアメリカでは誠実に働いてもまともな生活を送ることができない人が急増していると指摘しています。

では、どのような是正策が必要なのでしょう。

ローゼンフェルド自身は三つの提案を行っていますが、率直にいってこの提案の賛否は分かれるところだと思います。僕は個人的にうまくいかないのじゃないかと思いますが、だからと言ってローゼンフェルドの提案に意味がないとは思いません。

少なくとも、原理的に「正当な報酬の額は決められない」ということを理解するだけでも、現在の世界の有り様に関する理解の解像度は格段に高まるからです。


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