ベンチマーキング 「真似る力」が人生を変える

凡庸なアーティストは模倣する。偉大なアーティストは奪う。

パブロ・ピカソ

ベンチマーキングとは、ある組織や個人が他者の成功事例やパフォーマンスを基準に、自らのプロセスや成果を比較・評価し、改善策を導き出す経営手法です。この手法は、自社の業績や効率性を、同じ業界や分野の優れた例と比較することで、組織の改善や成長のために使用されます。

ベンチマーキングの概念は、1980年代にアメリカのゼロックス社が、自社の業務改善のために組織的に導入したのが始まりと言われています。当時、ゼロックスは日本のメーカー、中でもキヤノンから強い競争圧力を受けていました。

ゼロックスは複写機に関する特許のほとんどを独占していましたが、それらの特許に抵触しない形で、まずは70 年にキヤノンが普通紙複写機市場に参入し、これにリコーやミノルタが続いた結果、ゼロックスの市場シェアは急落し、一時期は市場のほとんどを占有していのに82 年にはシェアは13%にまで落ち込んでしまいます。

何が問題だったのでしょうか?競合となる日本企業と比較すると、ゼロックスの製品は品質が悪く、コストは高く、開発期間は長くかかっていました。これでは競争に負けるのは当たり前です。彼らは自分たちの劣位を謙虚に認め、日本企業をお手本として改革を進めることを決心したのです。

ゼロックスの経営陣がまずやったことは、安くて高品質な競合企業の製品をバラバラにして調べてみることでした。これを経営用語ではリバース・エンジニアリングと呼びます。結果、彼らはその品質の高さ・コストの低さに驚愕します。なぜ、こんなことができるのか?

ゼロックスの経営陣は直球のアプローチを採用し、富士ゼロックスに調査協力を依頼して、調査チームを送り込み、結果「市場で敗北する前に、工場で敗北していた」ということを理解します。この学びはまず生産活動、次に部品の調達工程や物流工程、最終的には設計工程にまで活かされ、企業全体に「ベンチマークによる学び」が浸透していくことになります。

やがて、ゼロックスによるベンチマークの効果は、業界を超えて知られるようになり、その後は自動車、エレクトロニクスなどの業界でも盛んに日本企業のベンチマークが行われるようになり、米国企業の企業変革の核となっていきます。

ベンチマーキングとは「謙虚さ」

今から思えば、米国企業によって日本企業を対象としたベンチマークが盛んに行われた1980年代という時代は、衰退する米国経済が底を打って反転攻勢に出る、まさにターンアラウンドの時期だったのかもしれません。

なぜなら、こういった取り組みが米国企業によって大々的に行われたということが、深いレベルにおける米国ビジネスパーソンのマインドセットの変容を象徴的に表していると思うからです。

米国人は、主に欧州からの移民によって成立したという歴史的な経緯の影響もあって、個性や独自性を重んじ、特にビジネスやエンタテインメントの分野では「他者の模倣」に対して批判的な立場を取ります。

私たち日本人からすると、優れた業績を示している他者を模倣するというのは、当たり前の考え方のように感じられるかもしれませんが、個性を重視し、他者の模倣を嫌がる米国人にとっては、このような取り組みは、深いレベルでの精神性の変容がなければ、絶対に受け入れられるものではなかったはずです。しかも、模倣の対象となっているのは、太平洋戦争で完膚なきまでに叩きのめした東洋の貧乏国家なのです。

本当の企業変革は、精神レベルでの変容がなければ推進できない、とは企業変革の世界でよく言われることですが、80年代の米国による、言うなれば「身も蓋も無い」取り組みは、米国のビジネスパーソンのあいだで、そのような深いレベルでの変容が起きていたことを示しています。

さらに指摘すれば。アメリカは、哲学の志向としてプラグマティズム=実用主義の強い伝統を持つ国でもあります。オリジナリティが重要視される一方で、何が「機能するか」や「効果的か」を重視される伝統もまた同時に持っている。1980年代にベンチマーキングが広まった背景には、アメリカの実用主義的な価値観も大きく影響しています。競争に打ち勝つためには、何が役に立つのか、どのような方法が結果を出せるのかという点に重きを置くようになり、ベンチマーキングがそのニーズに応える手法として認められました。

異なる領域からもベンチマークは可能

さて、先述したゼロックスによるベンチマークの事例は、もろに同業の競合他社をベンチマークした事例ですが、ベンチマークの対象となるのは同業の他社だけではありません。

いや、むしろ「ベンチマークによって画期的な成果が得られた」という事例では、一見すると何の関係もないと思われるような、遠く離れた領域における優れた取り組みを対象にしていることが多いのです。例えば次のような事例です。

IBMによるL.L. Beanのベンチマーク
IBMは、部品在庫管理の効率化を目指して、アウトドア用品を扱う通販会社L.L. Beanの在庫管理手法をベンチマークしました。結果、L.L. Beanの需要予測と在庫最適化システムを参考にすることで、IBMは部品の過剰在庫を削減し、コスト削減と効率化を実現しました。

サウスウェスト航空によるF-1のベンチマーク
米国の格安航空会社、サウスウェスト航空は、航空機の整備時間短縮のために、モーターレーシングのF-1のピットクルーの整備プロセスをベンチマークしました。モーターレーシングの効率的なチームワークや専用工具の開発と活用、明確な役割分担を飛行機の地上作業に取り入れ、ターンアラウンドタイムを劇的に短縮。これにより、サウスウェストは運航効率を高め、低価格戦略を維持できました。

トヨタ自動車によるスーパーマーケットのベンチマーク
トヨタは、ジャストインタイム生産方式を確立する際に、スーパーマーケットの在庫管理手法をベンチマークしました。顧客の広範な需要に応じながらも、在庫を最低限に保つスーパーマーケットのシステムを参考に、トヨタは無駄を最小限に抑え、効率的な生産システムを確立しました。

ルーヴル美術館によるディズニーランドのベンチマーク
2000年代の初頭、ルーヴル美術館は、来館者の多くが、導線がわかりにくい、迷って疲れてしまう、お目当ての展示物が混雑していて見えないといった不満を後にして美術館を早々に後にしているという問題に直面していました。彼らは、来館者の体験向上のために、テーマパークであるディズニーランドの運営手法をベンチマークしました。

結果として、術館の訪問者体験の向上により、来場者数が増加し、より多くの人が美術館での時間を楽しめるようになりました。

「学ぶ」は「真似る」

ベンチマーキングは、単なる模倣ではなく、他者から学び、それを自分の状況に応じて最適化するプロセスです。この「学ぶ姿勢」が、ビジネス戦略の一環として重要視されるようになったことは、アメリカのビジネス文化にとって大きな変化でした。1980年代のアメリカでは、他国や他社から学ぶことが「劣等感」ではなく、「優れた手法を取り入れることが成長のために必要な手段」であるという認識が広がり始めました。

この考え方は日本語の「学ぶ」という言葉の語源にもつながります。そもそも「学ぶ」の語源は、古語の「マナ=真似」であり、つまり「まねる」という意味です。本章のテーマは「学習と成長」ですが、学習するためには、まず模倣が出発点になることを昔の人は経験的にわかっていたのです。世阿弥の残した「守・破・離」という言葉の「守」は、まさに師匠や先人の教えを忠実に守り、模倣するプロセスのことです。

創造性と模倣は相反しない

創造性はしばしば「オリジナリティ」、つまり他にない独自のアイデアや作品を生み出すことと結びつけて考えられますが、実際には模倣が創造性にとって大きな役割を果たしていることが、科学、芸術、その他多くの分野で認められています。模倣は、学習や発展の出発点であり、新しいアイデアや表現を生み出すための土台となるプロセスなのです。

たとえば天才の代名詞としてよく名の上がるピカソですが、ピカソの作品の多くは「ネタ元」が特定されています。これは多くの美術史家が認めることですが、ピカソほど多くの作品のネタ元が割れている作家は他にいません。

そしてまた奇妙なことに、ほとんどのケースにおいて、ネタ元となった作品よりも、ネタを活用したピカソの作品の方が有名なのです。

本節冒頭のピカソの言葉「凡庸なアーティストは模倣する、偉大なアーティストは盗む」は、模倣の疑惑があることを指摘したインタビュアーに対してピカソが返した言葉ですが、この言葉には、創造におけるベンチマークという行為の本質がよく表れていると思います。

大事なのは「模倣した上で、自分のものとして取り込んでしまう」ということなのです。

たとえばよく知られている通り、アップルの初代マッキントッシュに搭載されていたマウス、GUI(=グラフィカル・ユーザー・インターフェース)、オブジェクト志向プログラミングなどの新機軸は、すべて元々はゼロックスのパロアルト研究所で開発されていたものでした。

スティーブ・ジョブズらは、パロアルト研究所で画期的な技術が開発されているらしい、という噂を聞きつけ、口八丁手八丁で見学をねじ込み、目撃したそれらの技術に衝撃を受け、初代マッキントッシュにこれをことごとく採用しました。

この経緯をよく知っているビル・ゲイツは、マイクロソフトのWindowsがマッキントッシュのインターフェースを模倣した、と激昂しているスティーブ・ジョブズを目の前にして「なあスティーブ、僕らの近所にゼロックスというお金持ちがいたね。僕が盗みに入ったら、ちょうど君が盗んで行った後だった、というだけのことだろ」という真っ当な、しかしそれはそれでどうなの?と思わせる反論をしています。私たちの一般的な認識とは異なり、模倣というのは非常に有効な学習の一環であり、新しい技術や知識を習得するための効果的な方法なのです。

初めて何かを学ぶ際、私たちはまず他者がどのようにそれを行っているかを観察し、同じように模倣することから始めます。これにより、基本的なスキルや理解を深め、その後で独自のアプローチや創造的なアイデアを加えることができるようになります。

模倣は、創造的な成長のための重要なプロセスであり、学習、実践、そして革新への道筋です。創造性は完全なオリジナリティではなく、既存のアイデアを吸収し、それを新しい形で表現する力でもあります。歴史的に見ても、モーツァルト、ニュートン、ピカソなど、多くの偉大な人物が他者の影響を受けながら、自分自身のオリジナルな作品や理論を生み出してきました。模倣は、創造性の基礎を築くための最初のステップであり、創造のプロセスに不可欠な役割を果たしているのです。

ベンチマークを人生において実践するために

それでは人生の経営戦略=ライフ・マネジメント・ストラテジーにおいて、ベンチマークを実践していくためにはどのようなポイントがあるのでしょうか?

1.       課題認識を持つ

まず、ベンチマークを行うためには、自分の課題を特定することが必要になります。このとき、課題のポイントの具体性が明らかになればなるほど、ベンチマークの対象の選択する力も上がります。

逆に、課題の特定が具体化できずに、ただぼんやりと「なんとなくうまく行っていないよな」というような認識のままでは、ベンチマーク対象を絞ることすらできません。「気づく力」は課題認識の力と表裏一体です。まずは、自分のどこに問題があるのか?を把握することが第一歩となります。

2.       ベンチマーク対象を選出する

課題を特定した後は、その課題を解消するためのベンチマーク対象を選出します。ベンチマーク対象を決めるにあたって、特に重要なのは「能力」ではなく「行動」と「時間配分」に着眼する、ということです。

なぜなら「能力」は簡単には真似できないのに対して、「行動」や「時間配分」はすぐに真似ることができるからです。そして多くの場合、問題を解決する鍵は「時間配分」にあるからです。

私自身は、コンサルティングのプロジェクトにおいて、それこそ幾度となくベンチマーキングのプロジェクトを行いましたが、ほぼ全てのケースで「時間配分」は、成果を左右する重要な要素となっていました。

次の図を見てください。これはある自動車メーカーのプロジェクトで行った、好業績ディーラーの店長と低業績ディーラーの店長との「時間の使い方の対比」です。守秘義務の問題から、細かい項目と時間については変えていますが、イメージはわかると思います。

この分析結果を見る限り、低業績店舗の店長はおしなべてスタッフとのコミュニケーションが短く、データ分析や資料作成にかけている時間が長いということがわかります。その他にも会議や接客、他店舗・本部とのコミュニケーションなども含めると、好業績店舗の店長が、いわゆる「コミュニケーション」に全業務時間の半分近くを割いているのに対して、低業績店舗の店長は、それが3割程度しかないということがわかります。 

ここから先は

1,536字 / 1画像
この記事のみ ¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?