日本発のクリティカル・ビジネス

4月に発売した拙著「クリティカル・ビジネス・パラダイム」ですが、おかげ様で届くべき人にきちんと届いているな、という感覚を持っています。

私の本はいつもそうなのですが、思いつくままに色々と書く加えていきながら、八合目まできたあたりで、全体のバランスを調整するために、大胆に刈り込んでカットします。

で、本書もその例に漏れず、いろんな箇所をカットしたのですが、これから少しずつ、カットした箇所をNOTEで共有したいと思います。

ということで、今回は、クリティカル・ビジネスの実践例として無印良品を紹介した箇所について共有します。

以下が該当部分となります。

==========

無印良品は、日本発のクリティカル・ビジネスの代表と言っても良いかもしれません。

無印良品は1980年、セゾングループの流通企業、西友のプライベートブランドとしてスタートしています。ブランドのコンセプトを考案したのは、当時、セゾングループの総帥だった堤清二と、堤のブレーンとして数多くのセゾンのキャンペーンを手がけたデザイナーの田中一光でした。

導入当初は、いわゆる「わけあり商品」を安く売るというコンセプトを全面的に打ち出していましたが、2000年前後を境に、徐々にブランドのコンセプトを「品質の良いものをシンプルに提供する」という方向へずらし、今日に至っています。

現在、無印良品は国内で532店舗、海外で604店舗を数えるまでになり、連結売上高は4500億円を超えます。

では、無印良品のどこがクリティカルなのか?

それまでのマーケティングでは・・・というか、この点については現在でも大きな変化はないと言えるかもしれませんが・・・商品の内実に大きな変化がないにも関わらず、ブランドやパッケージやコミュニケーションの操作によって価格を上昇させるという手法が用いられていました。

堤清二は、フランスの哲学者、ジャン・ボードリヤールの「消費者化の神話と構造」を読んで「消費と記号」の関係について考えを巡らせ、この風潮に対して否定的な疑問を持ち、記号性をむしろ削ぎ落としていくことによって、ブランドを生み出すことができないか、というアイデアに想い至ります。

最終的に、堤清二と田中一行の二人は、無印良品を「アンチブランドとしてのブランド、反体制としてのブランド」として位置付けた、と語っています。

ブランド創業当初のこのコンセプトにすでに、無印良品の「クリティカルさ」の原点があると思います。コンセプトがそもそも「アンチ」であり「反体制」なのですから。ここにも、先述した「削ぎ落とす」という否定神学的なアプローチが見えます。

無印良品は、パッケージのロゴや模様や製品のデザインや機能に関して、それまで「何かを加えることによって価値を高める」ことしかやってこなかった世界において、「何かを削ぎ落とすことによって価値を高める」ということをやった、おそらく最初期の事例の一つだと言えるでしょう。

別の言葉で言い換えれば、無印良品のクリティカルな点は「モードからの意識的な離脱」でもあった、とも言えるでしょう。消耗のサイクルよりも購買のサイクルを早めることができれば、企業は消耗を待たずにモノを売ることができます。ロラン・バルトは「モードの体系」において、この「消耗のサイクル」を超えるスピードで「購買のサイクル」を回すエネルギーを「モード」という概念で説明しました。

企業は、モードを生み出すことによって購買のサイクルを早めることができるわけですが、モードによって時代遅れにされてしまったモノは消耗されていないにも関わらず破棄されることになります。

しかしこのアプローチは、すでに資源や環境やゴミがここまでシリアスな問題となっている社会において、もはや許容できません。

無印良品は、それまで主流となっていた社会におけるビジネスのやり方に対して、クリティカルなアンチテーゼを唱えることで、「ミニマルでシンプルであることの豊かさ」という新しい価値観を人々に示した、という点で、クリティカル・ビジネスの一つの典型と考えることができます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?