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『生きてるだけで、愛。』人間は救われない生き物だよ。

『生きてるだけで、愛。』のネタバレを含みます。

今夜はーーと電話しながら映画を観てました。お互いタブレットとパソコンで映画を流して、スマホで電話を繋ぐ。
楽しい繋がり方だな、と思っています。あぼちゃんが提案してくれました。
実は昨夜もしていたんですが、昨夜はーーのタブレットをスマホ越しに観る形で、あんまり聞こえなくて集中切れて途中で寝ちゃってました。ちなみに見てたのは、『蛇にピアス』。

今日観たのは、『生きてるだけで、愛。』
何を観るかの話をした時に、「『マザー』とこの作品が気になってる。どっちがいい?」って聞いてくれました。
それで選ばれたのがこの作品でした。
あらすじを見た時から、少し胸が苦しくなるような感覚をおぼえました。
これをーーと観ることを少し身構えてしまう私がいました。

映画の感想ですが、
まず、菅田将暉についてです。あぼちゃんは「菅田将暉が出演している映画をあまり観ようって気持ちにはならない」と言っていたのでそれは何でなんだろうと気になっていたのです。
映画が始まってみて、感じたのは、菅田将暉は菅田将暉が強すぎるのかもしれない。皆が知っていて、イメージが固定されて一般化されすぎてしまっているのかもしれない。と思いました。
彼の演技は、私は好きな方です。演技についてどうこう言える立場でもなんでもないですが、バラエティ番組に出演している菅田将暉も、映画に出演している菅田将暉も、私にはどんな人物かいつも掴めない感じがして、なんだか不思議な気分になります。どんな演者の方もそうだと思いますが、それぞれの作品で全く違うテイストの人格を演じることができるのは、本当に凄いと思います。
次に、映像について。
凄く綺麗だった、と思います。映画の映像としての素晴らしさがあったと思います。
主人公の寧子が走ったり踊ったりするシーンもそうですが、美しいと感じました。

ストーリーについてですが、1番思うところがありました。
前々からーーと話していて思っていましたが、この映画で寧子かは発せられる言葉を聞いていて、改めて思いました。
心が弱かったり、疲れながらも人生を生きている人達の言葉は、とても魅力的です。
彼彼女らの言葉は、自分の弱さを表現したり、気持ちを表現したりする、言葉選びが秀逸だと感じます。
また、寧子が終盤走るシーンでは、破天荒で美しく、とにかく良いと感じてしまいました。
彼女を肯定したくなる気持ちは、ーーにも重なって、自分が誰かを肯定したいという考えに固執してしまっていることに危機感も覚えました。
あとは、彼氏の津奈木を、将来の自分に重ねて見てしまう自分もいました。というか、常に重ねてしまっていました。彼の場合は、寧子と3年間生活を共にしていたようですが、生返事ばかりでいました。
寧子が変わろうとしている時に話しかけてもその態度は変わることがなく、彼はそのまま生返事。彼は彼で仕事でのストレスがかなり溜まっている状態であったもあり、衝動的な行動にも出てしまっていました。
私が1番思っていたのは、「私もこうなるんじゃないか。」です。
寧子は彼の行動をみて、想いをぶつけていましたし、映画をみている私たち視聴者からみても、彼の行動は良くないとわかります。
しかし、3年です。序盤で寧子の難ある性格や、生活態度をしっかりと描写されていたため、寧子と津奈木が過ごした3年の重みが伝わってきます。彼は彼女の生活を支えながら、仕事をこなして生きてきたのです。
ただ、寧子の放つ言葉は私に言われているようで、とても刺さりました。
寧子の言葉はーーの言葉によく重なりました。
ラストシーン、
「私は私とは別れられない、いいなぁ津奈木は、私と別れられて。」
心がギュッとなりました。あぼちゃんも似たようなことを言っていました。
彼女は自分の周りから見られる人としての評価を自分たちに1番向けてわかっているから、それでいてもどうしようもない自分がいて、悲しくなって、死にたくなって、どうにもできない生きている自分に嫌気をさして生きている。と、思います。
こんなことがわかった上でも、津奈木や私のような立場の人間は、どうすればいいかわからない。
私がこんな風に思うのも、おこがましいのだろう。どうすればいいかわからないなんて、彼女が1番思っていることだろうに。だから助けを求める。
家でただダラダラしているように見えても、「弱っているから、優しくされたら泣いてしまった」彼女は生きているだけで、疲れ、心を休めることが出来ずに生きている。ただ家にいる。それでも休めない。ストレスになる原因を減らそうと家でいるのに、止まらない自己嫌悪は自分を蝕んでいく。
寧子と津奈木の会話でも、心が痛くなるところはたくさんありました。
津奈木の言葉に関して、寧子は「私を納得させる言葉でしょ」と言い放ちます。
私に言っているのかと思いました。
私がーーに伝える言葉も同じようにつくられる言葉だと自覚している節があるからです。
津奈木はよく、「ごめん」とだけ謝るシーンが何度も出てきています。この彼の気持ちも私にはよくわかります。寧子の言葉の意味も、あぼちゃんから言われるのでわかります。いや、わかっているつもりではいます。
津奈木の言葉にはほぼすべて突っかかりが残りました。彼の本質を感じる言葉がほぼ感じられませんでした。そもそもの彼の性格は人に感じることなどを話さないみたいです。
ラストシーンの、寧子が津奈木に、「なんで私と3年も一緒にいたの」という質問に対しての答えでさえも、寧子が知らない津奈木の想いらしきものが見えた瞬間だったからこそよかったものの、私はそれが3年間一緒にいた理由にはならないと思いました。ひねくれているのでしょうか。
初めて会った時、寧子が血を流したまま走りだしてその時の青いスカートがとても綺麗だった、こんな光景をまた見たいとおもった。それは、寧子といれば、自分だけでは経験し得ないような景色を魅せてくれるから。ということでしょうか。寧子の人間的な魅力について随分抽象的に表現しているように思います。寧子にとっては、それだけでも大きかったのでしょう。
一瞬でも。その一瞬の連続で生きていけたりする。ーーにもその一瞬だけでも救われるならいいんじゃないと言われたことがありました。
やはりあぼちゃんと寧子の言動には重なることが多く、幼少期に形成された性格からなる思考回路が似ているのかな、なんて考えていました。

これをかいていても、なんだか辛いような気がします。けど、辛いなんて言えない。言っていいものじゃない、と立場上思います。自分が外側の人間なら私のことを励ますでしょうが、私はこの立場に望んで居続けているので、辛いなんて、言ってしまえば関係は破綻するのです。

この津奈木と寧子、私とーー、立場はほぼ同じです。
このような問題は解決の形がない大変難しいものです。ただ、生きているこの瞬間が苦しく、生きているということはその苦しみを続けなければいけないということに絶望し続ける人がこの世にはいて、そんな風に生きている人を愛す人がいるのです。とても考えさせられる映画でした。
私はとても気に入りました。また数年後に見返したいと思います。

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