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生きることについて

タイトルが元気がない時すぎるけど、おいらはとても元気でもうすぐ終わる夏休みやってます。なんとなく思っていることを残しておくかとメモに書いて、せっかくならいつデータが飛んでもいいようにと、いろんな所に自分を散りばめてリスク分散する。
最近は秋めいてきてちょっと寂しかったり、嬉しかったりするね。
季節は風から感じるものという仮説を置いておきますね。

生きることなんて、とんでも大きいテーマを考えたのは小学生とか以来かも知れない。その時は特におませさんで、死ぬとか生きるとか死後の世界とかを考えていた。夜中に両親とコの字で寝ていて2人が寝た後に、このまま世界が壊れたらどうしようなんて思った。いっぱい泣いた。自分なりにぬいぐるみやご先祖様にお祈りをしながら朝トイレにいくのが日課だった。その頃おじいちゃんが死んで、私は仏陀を読んだ。

今、生きることを考えてみると、仕方がないことなどと思ってしまう。頼んでもないけどありがたく、本当に運よく大好きな家族に恵まれて愛を受けてこれでもかと愛を受けて大切に育った。反抗期は1週間で、両親を悲しませたくなくて終わった。イライラしたら母と父に話して、だんだん面白くなってきて笑いに変えてきた。だからと言ってどの家族にもあるような家族の問題は我が家にもまあ程々にある。

そう、話は戻るけれど、生まれたからには生きるし、タイミングが来たからには死ぬしかないのだと思っている。せっかく女の子に生まれて、そこそこに男の子に憧れはするものの、髪の毛は長いほうが好きだったり、自分は女でいる自分の方が好きそうだから女でいる。お父さんが自殺だけはしないでと送り迎えの車で高校生や若い世代の報道がある度に言ってたから自殺はしない。中学生のとき、何人かの同級生のご家族が亡くなったこともあって、担任の先生が親より早く死ぬなっていったことも、小学生の時の大好きな先生が帰りの会で、さよならの代わりに「死なないでください」っていっていたのも相まってる。多分自分で死ぬ前に私はいっぱい逃げる。いっぱい逃れるうちに。それでいいと思うし、死にそうだったからといえば私の周りは偉いといって許してくれる。

子どもに関しても、1人でいるよりもずっと何倍も楽しそうだし、この世に生を受けたのだから還元というと随分と愛がなくて、人工的な響きがするけれど、お世話になったからみたいな、生きちゃったからにはという使命感みたいな気持ちを持っていて、欲しいと思う。親が子どもはいいよって小さい頃から言っていたのも大きいと思う。私もなんとなく、なんとなくだけど子どもと生きたい気持ちが強い。
自分の身体の変化には、胸が大きくなったり、生理が来るようになった時から納得はいっていないけれど、上手く付き合ってきたから上手く付き合うと思うし、そうするしかないという諦めがある。それに、高校の時の保健体育の授業でいかに命が尊いのかビデオを観たから大丈夫なんて思っている。それに、変化がないと私は生きていけないから。こんなことを思っている私を、子は許してくれるだろうか。きっと子ができたらこんな思いなんてぶち飛んで、大好き生きていてくれるだけでそれが全てになる気もする。人は生きているだけで随分とすごいから。
背が高い人の成長率が半端ないってそういうこと。

こうみてみると、生まれたことから死なない理由を両親のせいにしている。
それでいいとも思ってる。私に一番生きていて欲しい人だもん。
私もそう思ってるし、みんなで背負ったらいい。

何を書きたかったのかは分からない、そんなに書きたいことなんてなかった。ただ、私は生きていることに意味なんて、やりたいことや使命感を持つこと自体必要ないんじゃないかと思う。でも、せっかく生きているからには面白くて楽しくいたい。

周りには幸せでいて欲しくて、その何かになれるなら喜んで動ける自分でありたい。女でいることに不満がないから精一杯自分なりの女でいるし(書いてみて思うのは意外と性別に引っ張られてるのかもね)、体も結構健康なのでそれを活かすってだけなの。

大好きな人に囲まれて、好きな場所に住んで、あわよくば自分にも家族が増えていて、それらの写真取っちゃったりして、そんな日常に満足できたらいい。でもやっぱり、もう少し贅沢して、たまによく分からない場所に旅行に行きたいし、美味しいパンとコーヒーとか好きなお店が欲しい。特別な日じゃなくてもケーキ食べたいし、レイトショーの映画を観て、好きなアーティストを生でみたい。
あと乗馬してお尻痛くなりたい。
面白い考えをして、ひひんと行動をする人のいる環境にいたい。
ふぅ、こんなに欲望がありますね。

これを就活の場で言っていいんですか、言わない方がいいですよね。
許して欲しすぎて、言っちゃいそうな自分が恐ろしい。
それを考えられる人と働きたいか考えなよ、おのれ。

結局毎回同じようなことを書いている気がする。私の願いはここにあるんだろうな。まあ孫よ、もしその世にいるならこの文章でも読んで21歳の私が考えていることに反論でもして、今のおばあに素晴らしいアイデアを聞かせて。
いなかったら孤独で愛していてね頑張れ私。何この駄文。

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