見出し画像

新規メモ

新しい場所にメモとっていいよ。

そろそろインスタ飽きるとかないのかな

Twitterも、インスタも、はたまたBerealも。確かに恩恵いっぱい貰ってますもん。

会話をするたびに思うこと

自分の話をみんな聞いてもらいたいモノだよな、私も人の話をしっかり聞くべきだし、聞いてもらえない人からは離れたいと。

広告をみるのが楽しくなった

「記号論からマーケティング」という講義を受けていて、初めてのジャンルで非常に楽しい。広告を成り立たせるには人を知る必要があるなって思う。芸人さんが一番普通を知っているみたいなそんな感じで。広告で何を思って欲しいのかとか、その地域の特徴を考えるのは非常に楽しい。一番印象に残っているのは、リンゴや蛇が使われている広告で、婉曲的だったから全く気づかなかったけどイブを意味するというかメタファーになっていることを他の多くの受講生であるヨーロッパの学生は理解して、私や韓国の学生は言われたり考察をして気づいたという時。血に埋め込まれてるじゃないけど、これまで触れてきたものとかの違いなんだろうなと思った。日本で言ったら桃=桃太郎、鬼退治とかなのかな。白い犬が話たら、ソフトバンクじゃないんだからってツッコミができるとか。これは、広告→社会の例かもしれないけど。

これをやることでしか救われない感情がある

音楽をひたすらガムシャラに聞いているときにしか救われない感覚がある。というよりも、ふと音楽を聞きいっている時に、何にも出せない感情だなって思うし、これだけは誰にも渡せない私の時間だと思う。
今は、本を読んで意識が社会から1番近い膜よりもかなり奥にいる。ここから抜け出せないまでに浸る。ひたひたになって浸透しすぎたらまた外に近づく。それがいい。

どうやら人が大事みたいだ

自分にはどうやら一緒にいる人が大事みたいだ。こういうと、大変強がりみたいだけど、大好きだなとかこの人が好きだなじゃない人といる以外の時間は1人でいる方が好きな気がしてきた。人と一緒にいれる時間が多くなったから分かったことだと思うし、今だけなのかもしれない。
自分にとってその人との時間が心地よくない=相手もそう思っていると考えて、離れたくなる。あとそういう場合自分が大抵マジレス論破しようとする。まじごめんな、反論かそれをひっくるめた笑いを待ってるだけなんだよ。

敏感さに気づいてたら生きてられない

押し殺したり、みて見ぬふりをして生きていく様な感じ。私はどんどんと鈍感になって、それは大らかとか大人になるってことなんだろうか。遊び心に磨きをかけたくて、それは面白いとか不思議とかに耳を澄ませることな気がする。鳩とか生き物を追いかけたり、触れたり。気になるものがあったら少し遠くや歩きづらい場所にあっても見に行ってみるとか。考えすぎないってところは、共通してもっているものなのかも。
なんて考えながら言うとりますけど!

場にいること

カフェにて。最初は、人いっぱいなのかなと思い恐る恐る空いているであろう席を確保。そこで作業をしていると、隣のお姉さん以外全部席は空いていた!テイクアウトのお客さんがカウンター前にいたこと、お店がいつも人気なこと、席に置いてある砂糖の入れ物によって勝手な思い込みをしていた。
けれど、その場にいると全く持って空いてるなあしか思わないし、きっとお姉さんに席が空いているか聞いていたら不思議な顔をされていたかもという位。じっとしてるだけでも見えてくるものはありそう、そこにずっといないと分からないことと分からなくなっていくこと。
こういうギャップって組織単位でもあるのかな。

私が生きやすい様に海外へ行く人増えたらいい

外国へ行くってすごいねとか、パスポートの所有率が少ないとか。お金を持つ人が増えたなら一層海外へ行きたい人が手軽に行けたらもっと自由になる様な気がする。この自由は呪いを解くみたいな意味がある。
・若さの呪いとか
・男女の呪いとか
・外見の呪いとか
・格好の呪いとか
・考え方の呪いとか
・生き方の呪いとか
私は新たな呪いをかけてしまっただけなのか。
そしたらまた薬草でも聖水でも食べよう。

出会いは運

もちろん、その人が人を寄せやすいとか人柄面も大きいとは思う。だけど、その時近くにいたからとかその程度の運で場面は大きく動く。だから、自分がもっとこうだったらとか考えすぎなくていいんじゃないかな。
そこで腕でも指でも爪でも掴めるかは別なんだろうけど。

シャッターを閉め過ぎない

合う合わないの話。シャッターを閉め切って、心地よい人とばかりいるのもいいけれど、閉め過ぎずに角度を調整していきたい。相手が会いたいと思ってくれているうちだけでもいいから。

好きなものいっぱい増やして生きていこう

美味しいものとか、人とか場所とか空気とか。なんでもいいから救われるという感覚が日に日に増えている。私は文章に想いをぶつけれらて心地が良くて、これを死ぬまでやったらいいじゃんと今は思っている。明日、1週間後、3ヶ月後とかそのもっと先にやっていなくても、その時の自分が救われてたらいい。
簡単に好きになろう。

クラシックコンサートに行った

音楽は救われる感覚がある。川とか大地とか感じて、流れがあった。弦楽器は引いて音を出していること、ハーモニーの美しさ、これに心を動かされて守ってきた人がいっぱいいて自分のもとにきたのかと思うとトロンとした。ありがとう、ヨーロッパ、ありがとうお友達。ありがとう、ちゃんと行くって決めた自分。
バンジージャンプを無性にしたくなって、その時に頭の中にはこの音楽が流れるんだろうなって。

こちらのいいところ

コーヒーを飲もうとしたら、インスタントコーヒーを入れずにお湯だけコップに注いでいた。湯気が経つ中後入れしていて気がついたんだけど、蓋に粉末が固まることないなって、カビないないって。雑な奴らに優しい乾燥世界、ありがとう。

街でいきなり声を掛けられる

コンニチワ!とか言われることにも慣れた。いい気はしないし、これを人種差別だという人も多いかもしれない。嫌な気はするし、けど悪意はないだろうし。こういった行動をされた時に、一番は無視することだと思う。もっと言うと、相手に"成功体験"をさせないこと。大好きなイラストレーターのまぼさんが、妊娠したことを上司とかに告げる際のセクハラについて書いている投稿があってこれかもなと。嫌な思いをするのが自分で最後になればいいなという思い以上に、こいつらを許すなっていうデカイ感情。

最近

最近はもっぱら自己分析の一部や日記としてメモにしているので、メモという項目をサボりがちだ。でも、私は変わらずにいる。
新しいものに触れる機会があったり、なんだかんだやることはあってどこで役立つか一生何にもならないかも知れないようなことをしている。
あと、ポッドキャストが何気続いている。といってもまだ1週間ほどだけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?