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Untitled note

ここ1ヶ月分くらいがたまったので。
最近は、タバコの箱の写真を撮ってフォルダーにしてみたりと外にエネルギーが向いている。自分の考える時間が減って、こっちの方が楽なのかもと思う。
生きやすいけど、物足りない、逃げている様な。そんなことないのにね。

楽しいには種類があって、濃淡があること

それなりに

コロナ禍で大変、気の毒と言われた2年間だったからこそできたこともあった、出会えた人もいっぱいいた。
私は確実にコロナがなければ留学に来ていなかっただろうし。そっちの世界でも楽しくやっているだろういけど今の世界に満足なんだね。それなりにって言葉好き。それなりに楽しくやっているよ。

トイレについて

みんなで同じトイレを使うこと。こっちに来てから、ジェンダーレストイレがある程度の頻度である。ちょっとテンションが下がるけれど、これなら誰でも使えるよなって思ったり。やや気まずいなって思ったり。それでも1つの答えではありそう。事件とかの要素があったからなくなったと聞いた。

ままの勘違い

ママに勘違いされている。友達が好きなの、どうにかして恋愛って結びつけるのにむず痒さがあるの。ああここでも、このパターンかって。

長所は戸棚の奥に隠れてる

人やモノのいいところに目をつけれる人、それをうまく言葉にできる人はいい。

今よりも少し幸せになりたいだけ

この言葉がだいぶ全てだなって。

頑張っている人を見ると頑張れるし、時々死にたくなる

もちろん本気じゃないけどさ、一生懸命なのをみると自分は頑張っていないのかなって思う。まだ本気じゃないだけをずっと繰り返しそうで怖い。頑張っている自覚なんてある時よりもない方が多い。ただ生きているだけだし、そうさせて欲しい。頑張るって言葉がちょっとだけ、綺麗で格好いいから使っちゃうんだけどさ。
あと、ルームメイトはどうやってお風呂に入っているのか教えて欲しい。すごくびちゃびちゃになることと、いろんな音がすることは分かる。

継続できる人と自分がどう動くか考えられる人は凄い

その過程が大事とかそういうことなのかな、運がいい人は運がいいし。
こう書いていたから、残すけどなんだかこの時ずばり元気ないな。

フェミニズム

ええ、そうなのかと思ったり、主張強すぎないかとも思ってしまう。けれど、そもそもの目的の1つには、きっと社会にこういう人がいて暮らしていて、それが隣の部屋の人、友人、家族、自分自身かもしれないということを伝えることも含まれているはずで。最近になって、人の行為自体に少し疑問符を思うようになっていて、それもそういうことなのかもしれないと思う。贈り物をしたい人もいれば、もらうこと自体を負担に感じる人もいるはずであって、それを声にできる環境が大事なのかもしれない。押し売りはよくないし、押し売られている立場かも知れない。まあ、だからこそ強い主張を押し付けすぎると煙たいという人もいる、それぞれの主張の押し合いで、立っているフェーズが違うと理解が難しくなるのはディベートあるある。

いい距離感を見つけるのが仕事な気がする。性交渉が嫌な人も大好きな人もいて、そこに性別なんか関係なくて。でも、それぞれの普通は違っていて。

無理が増えていく

どんぐりずを聞くたびに思い出す瞬間があって、BIMちゃんを聞く時にも思い出したりと無理なのだ。帰って同じ道を歩いたらまた気持ちがやってきて、その経験が増えるたびに薄まっていくのかも知れないけれど。サメは24mプール何杯か分に血を一滴薄めて入れても嗅覚が鋭いっていうしさ。薄めたところでとも思う。みんなよく生きてるよな。私はだいぶ無理だよ。

講義の復習中のメモ

シンプリー関係ないかもだけど、うちのおばんはおじいがなくなっていなかったら専業主婦になっていたのだろうか。それは考えにくいよね、地方と都会での専業主婦率異なりそう、人口差もあるけど。私はそもそも子供は家庭で育つべきではなくて、いろんな大人を見て育ってほしいと思ってしまうので家族の時間も必要で仕事がとかの理由ではなくてコミュニティを持ってほしいなあ。押し付けでしょうか、学校いかないという選択をとっても、いいだろう。って素直に言いたいな。好きなものでも持ちながら心が病まなければそれでいい。なんて自分も自立してないのにね。

柔軟になるとか

言うは簡単なんだよな。あと概念とか必要性は分かっても、自分に矢印を向けたらまだまだ硬い部分もいっぱいあって。本とかのお陰な気もしてきたな。ありがとう、西加奈子さん、村田沙耶香さん。

社会に放出

自分のエネルギーは社会に対して向かうものじゃないって分かった時、それが存在していていいんだって時、だいぶ楽になった。社会問題に興味がないとかではなくて、その問題の大きさに絶望してしまう自分にとっては副産物的に社会が良くなるくらいのテンション感が合っている。そしてそういう人もいっぱいいるはずで。社会問題に立ち向かっている人たちがとってもかっこよく見える。けど大丈夫、もっと自分やすぐ近くの周りに目を向けていいんだよ。自分の目に見えるもの、社会ってそれの連続だろうから。

そう考えると、いろんなタイプの知り合いがいることはいいかも知れない。誰に向けて誰が頑張っているとかがイメージしやすいから。

たまには全く興味のないことに走ることもいいのかも知れない

選ぶという行為の時点で少しは関心があるのかも知れないけれど、自分の避けているトピックなどがあればそこに小指だけでも触れてみることで扉は簡単に開けるし、閉じておける。ニュースとか、YouTubeで適当に流し聴きして見なよってこと。何よりも、扉があることを知っていながら中を覗こうとしないことの方が不健全な気がしてくる。物理的にもね。やっぱり好奇心じゃん、人間。

31アイスクリーム

ままんお父が食べようよといってくれたアイス。私は意地でも食べようとしなかった。ちょっとだけの贅沢なのに、今なら食べるのに。この思い出から見かけるたびにうってなる。私はちっとも可愛くない。

好きな香水を買うと外に行きたくなる

好きな匂いがするって強い。自分の持ち物に全部お気に入りの物語があればいいのに。

忘れていた考え

昔は祈っていたら叶うみたいなそんな風に思っていた。クリスマスだって、どこかで紙に書かなくても分かるって。自分で求めて、声に出すとか手を挙げて動かなくちゃってわかっている。

目指すべきはブラタモリ 的脱力世界なのかもしれない

残念ながら見たことないけど、若さんと春日さんの言っていた意味は分かるの。

何かを書くこと、残すこと

面白いって思ってもらいたくて、認められたいって思われたくて文を書いていた節があるけどそんな必要はない気もしてきた。誰かに認められたさはあるものの、そんなことどうでも良くて私は私を好きな人になりたい。

今日

最近日記だとかメモだとか何かを書くという行為をサボっている。別の形で向き合う必要があったからかも知れないし、なにか新しい面白いものを見つけづらくなっているからかも知れない。
その理由には、人と深く考えながら話していないことだったり、新しいものに出会っていないからじゃないかと話していてたどり着いた。私はどうやら、対話がしたいみたいだ。
今日も新緑が綺麗で、季節は私を置いて前に前にと進んでいく。


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