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お酒について#68

レポートというものを書き上げる事は大変であり、重要である。
分かった様な、分からない様な頭の中にあるぼんやり、もわっとしたものを具体的数字にしたり図にしたり文字で纏める、これはちょっと大変である。
しかし、それを明文化しないと高校、大学で単位が貰えない。その生徒が授業を理解し、応用できるか、今の所「はい分かりました」という言葉や、眼力、面構え、胸筋のたくましさは単位認定の材料にならない。

ブログやSNSは個人発信を容易にした、容易にしたが故に曖昧な情報や間違った知識はすぐ検証され信頼を失う。
何か他者に訴えたい事があればレポート力を使って誰をも納得させる必要がある。

さて、主にツイッター、Xで発信される内容を大きく分けてみる。
・単なる情報(野球の結果、広告等)
・情報に対する私的感情(巨人バカとか、献血の広告がどうとか)
・宗教、陰謀論(それを否定して欲しい訳では無い発信、布教活動と言っていい、反論は無視)
・表現活動(イラスト、写真等)
・私的感想(ラーメン、サウナ、政治、芸能、経済等々)

最後の私的感想これが一番多い、個人発信なのだから当たり前ですが(なになに社勤務ですが個人発信です、とよく見る)さて、問題にしたいのはリベラル、左翼という言葉を出しますが、そのように、我が日本国の事を毎日、始終憂いている方々はレポート力を伴ったポストをしているのかという疑問である。

結論から言ってリベラル、左派はレポート力より無視力が発達している、無視力とは上のカテゴリーに当てはめるなら「宗教、陰謀論」の類である。
否定してほしくないのである、同意のみ受け付け、自己承認のみを是とする。

核廃棄物をどうするのか?調査候補の段階で感情的に大騒ぎする、知事が「新基地」なんて言葉を使うとすぐ同意して嘉手納基地の危険性除去の具体的案は発想しない、飛躍的理想論を振り回すだけで一生を終えましょう。

そこでレポートである、レポートを完成させるのは大変である。
苦労して完成させ、形が残るので、間違った内容はネット上の書評などで永遠にツッコミが入る。

そうなるといかなる思想であっても本を書き上げた方々は無視力を武器にしていない、まだ憂国の気概がある者である、とも言えるかもしれない、少なくもと無視力100%の左派よりは言論人であると言える。と私もここまで書いてきて、その様な新たな発見があった。これが無視力100%では得られない、文章を書く事で得られる一端の良い事なのである。

以上(仕事中)。












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