疑問を作れ。疑問が深い考察を生む
フォロワーさんから『考察力を鍛えるにはどうすれば?おすすめの本とかありますか?』というリプを貰った。
難しい質問。けど面白い質問。
今回はこれに答えていこうと思う。
考察力とは「察して考える能力」
まず結論から述べると「深い考察力(思考力)を本の知識で身に付けるのは難しいと思う」だ。何故か?僕が考えるに考察力とは『察して考える』能力だからだ。本の知識だけでは身につけられない能力なのだ。
例えば、漫画ワンピースではコアなファン達がとても深い考察をしている。
ワンピースの正体やキャラクター同士の関係から過去の推測まで。
その中には「ワンピースの正体は宇宙船だ!」とか「シャンクスは未来からきた人間だ!」というぶっ飛んだ考察をする人までいる。ここではその考察の信頼性は置いといて…本当に深く深く考察している。素直に凄いと思う。(ちなみに僕が一番好きなキャラはゴロゴロの実のエネル⚡️)
ただ、この時に『じゃあワンピースの考察をしている人達はみんな考察力高いの?????』というと、そうではない。
彼らはワンピースが好きすぎるが故に作品の中に散りばめられヒントや伏線をひたすら見付けていくのだ。中には作者の些細なコメントまで深読みする人までいるし、中にはキャラのモデルになった人物の生い立ちまで細かく調べて考察する人までいる。そうして集めたヒント(情報)を元に『〇〇ではないか?△△なのでは?』と考察していく。
つまり”察する→考える”を繰り返している訳だ。
で、ここで重要なのはワンピースの深い考察している人達は、決して特別なスキルを使っていないということ。
彼/彼女らは、あくまで作品の中で与えられた情報を集めて考えているに過ぎない。集めた情報でひたすら考察しているのだ。つまり「1つでも多くの情報を集めた者が深い考察をしている」と言ってもいい。
もちろん考察をする人の中には賢い人もいると思うし、元々の考察力が高い人も沢山いると思う。
でも決して『深い考察=考察力が高い』ではない。ここを勘違いしてしまうと、どんなに本を読みまくっても深い考察力は得られない。深い考察をしている人は、そもそも与えられた情報が多いことを理解するのが重要なのだ。
なので「考察力を鍛えるには?」「深い考察を反映させたブログを書くには?」と聞かれたら、僕の答えはこうなる。
1:考察したい物事に対しての情報量を増やす(多角的思考をできるための準備をする)
2:そして、その得た情報を並べてひたすら考えていく(情報量が多ければそれだけ深い考察が可能になる)
これが最的確であり正解ルートだと思う。
仮に「iPhoneに関する深い考察をしたブログを作りたい!」と考えた時に、基礎知識だけでは深い考察は作れない。
もっと踏み込んでいく必要がある。
例えばiPhoneの特徴の1つであるタッチパネルに関しても、使い方や機能だけの知識だと深い考察はできないが、仮にここで、
「初代iPhoneのキーボードはジョブズ氏がiPhoneの試作キーボードのデザインが気に入らず、チーム全員に1週間丸々キーボードに関するアイデアを考えさせた際に生まれたもの」
という知識があったらどうだろうか?
一気に考察の幅は広がるのではないだろうか?
つまりコレだ。コクが深い料理を作るには色々な食材が必要なように、考察に関しても深く潜るには情報という材料が必要なのだ。
ただ補足をすると…
漫画や映画などの作りモノに関しては作り手側から意図的に情報を与えられている。ワンピースに関しても作者があえて「伏線」を張っている。なので基本にその意図を読み解く事で情報は簡単に取得できる。
しかし仕事や人間関係では情報は意図的に与えられない。自分で手に入れていくしかないのだ。つまり難易度としては何倍にも跳ね上がる。
ではどうやって情報を手に入れればいいのか?
と聞かれたら、個人的に推奨したいのが『疑うこと』いわゆるクリティカル・シンキング(批判的思考)と呼ばれるものだ。
クリティカル・シンキング(批判的思考)
人は「疑う」と聞くと、どうしても悪いイメージを思い浮かべる。
まあ気持ちはわかる。誰だって「疑い」と聞いたら良い気持ちにはならない。だが勘違いしないで欲しいのは、決して『何でもかんでも疑え!あいつの言っている事は批判しろ!』という事ではない。
物事を冷静に分析するために客観的思考を持とう、という事だ。
誰かが何かを言ってたら『この人の発言には何か意味があるのか?』と疑う。何かを行動してたら『この行動の先には何かあるのか?』と疑う。この疑いが考察を生む。
僕のツイートの多くも「疑問→解決」から生まれている。
1.なんで友人Aは常に不満を言っているんだろう?
2.彼は不満を解決をするために頑張っているだろうか?
3.いや、彼は常に自分の欲求に投資をしている。
4.だから現状が一向に改善されず不満が解消されないのか
↓↓↓↓
1.なんでオジさんインフルエンサーってあんな偉そうなん?
2.あ、調べたらこんな研究結果があった
3.つまりフォロワーを多く得る事で勘違い度が加速しているんだな
↓↓↓↓
1.深い知識なら本で手に入るのになんで有料note買うん?(本にはないような内容ならわかるけど…)
2.しかも有料noteに逃げる人に限って本を読んでないっぽいし…
3.あ、成功じゃなくて「楽に成功」を求めているからか
↓↓↓↓
すべて疑問から問いを作り、生まれたツイートたちだ。
これが仮に僕が相手を盲目に信じるタイプ/疑問を持たないタイプだったならば、これらのツイートは生まれなかった。
「なんで友人Aは常に不満を言っているんだろう?」
↓
「ま、そういう不満を言う人間なんだろうな」
「なんでオジさんインフルエンサーってあんな偉そうなん?」
↓
「まあ、オジさんになると偉そうになるんだなw」
「深い知識なら本で手に入るのになんで有料note?」
↓
「まあ、意味なんかないんだろなw」
疑いから始まったからこそ(自分で言うのもなんだが)多くの人の共感を得るツイートができたと思っている。
良い意味で疑うのだ。疑問を作り、問いを作る。その生まれた疑問を解決する情報を集めて、分析する事で深い考察が可能になる。
日本では疑わない事、信じる事が美徳とされている。でも僕はそうは思わない。
ライアーゲームという漫画では、天才詐欺師の秋山が、バカ正直で疑う事を知らない女の子ナオに対し、こんな台詞がある。
『人は疑うべきだよ。多くの人は誤解しているけれど人を疑うとはつまりその人間を知ろうとする行為なんだ』
<『LIAR GAME』より ©甲斐谷忍/ 集英社>
そしてこう続ける。
<『LIAR GAME』より ©甲斐谷忍/ 集英社>
疑わない事は美徳でもなんでもない。それは思考が停止しているだけだ。
ワンピースもコアなファン達が素晴らしい疑いを持ったからこそ、深い考察がされている。僕のように与えられた情報だけで楽しんでいるファンでは決して彼らのような深い考察はできない。
人間関係だって同じだ。相手を盲目に信じるだけでは生まれない信頼がある。そして皮肉なことにそういった疑いを克服した関係の方が信頼性が強固になることは多々ある。
最後にもう1度言う。
疑問を作れ。疑問が深い考察を生む。
深い考察をしたいならば、まずは疑問を持とう。疑ってみよう。
その疑問が深い考察を生む。「でも…疑って嫌われたらどうしよう…」なんて気にするな。疑う事は悪ではない。それは行為は相手を知るための行為でもあるのだ。
疑って疑って疑う。
その疑った先でも信用できる人に巡り合えたとき、それは麦わら海賊団のように最高に信頼できる仲間なのではないだろうか。僕はそう思う。
終わり
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