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大久野島  二つの戦争の記憶

瀬戸内海に浮かぶ広島県大久野島はウサギの遊ぶ島として人気が高いようだが、コロナ禍で国民休暇村が閉鎖されているせいで訪れる人も減り、ウサギだけが増えているそうだ。

ずいぶん昔のことだが、毒ガスの貯蔵施設跡を見るためにわざわざ出かけたことがある。

当時まだウサギは放たれていなかったが、旧軍用地を引き継いだ国有地は保養地に転用されていた。

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毒ガス貯蔵庫はうえの写真のとおりズズ黒い骨格をさらしていて、保養地にそぐわない不気味さだった。終戦時に証拠隠滅のため火が放たれたのだろうか? 3層の建物にも見えるが床のスラブはなく、天井までとどく高い吹き抜けになっている。この島が選ばれたのは、ガス漏れ事故への対処と、秘密保持のためだろう。


背後の丘に登ってみて驚いた。頂上部分がきれいに整備されており、見事なレンガ積みの構造物があるではないか!!(最初の写真)

説明文を読んでみると、日露戦争時にバルチック艦隊に対抗するために築かれた臼砲陣地だとある。

1世紀前のバルチック艦隊遠征は、日本海と太平洋をとおる2コースが想定されたが、瀬戸内海に侵入されて砲撃されることも恐れたのだろう。

臼砲陣は広場を挟んで左右2列あって、艦隊が島のどちら側を通っても砲撃できるよう設計されていた。10メートルほど掘り下げられているから海上からはまったく見えず、たとえ艦から砲撃しても、砲弾は上を通り越してしまっただろう。

それにしても美しい赤いレンガ。美観を考慮したわけでもないのだろうが、軍事施設や武器にはときおりこうした物を見かけることもある。


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