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シベリヤに落ちた隕石

チェリャビンスクの隕石(2013年)

ロシアのウラル地方チェリャビンスク付近に落ちた隕石のことは、明るくたなびく雲の映像がニュースで流されたので、まだ記憶に新しい。

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この隕石は付近の湖中から回収されたらしいが、まだ詳報はでていなのだろうか。

今回の隕石落下は、100年ほど前に同じシベリヤに落ちた別の隕石のメカニズムの解明につながったということだが、それについて書いてみたい。


ツングースカ大爆発(1908年)

表題の写真は、ほぼ1世紀前にシベリヤの中央部エニセイ河支流ツングースカ川上流部で起こった爆発でなぎ倒されたタイガの樹々で、20年ほど後に探検隊が撮影したもののようである。

わたしがこれを知ったのは、かつて手塚治虫が作品(鉄腕アトム?)の中で紹介したからであり、その後で大陸書房から出版されたクーリック探検隊の報告書を読んでみた。

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1908年にシベリヤの僻地で起こった爆発により夜行雲が発生し、アジアからヨーロッパにかけて数夜にわたって明るく輝いたといわれる。

時代は日露戦争が終わってまもなく、第1次大戦つづいてロシア革命の起ころうという混乱期であり、しばらく調査団は派遣されなかった。

爆発から13年後の1921年になって、ソ連科学アカデミーはようやくクーリック探検隊を現地に派遣することになった。

鉱物学者クーリックの調査は5回にわたるのだが、明らかにされたことは、爆発によって東京都と同面積の樹木がなぎ倒され、半径30~50キロの森林が炎上したことだった。

クーリックは爆発の原因は隕石によるものだと考え、巨大な蚊の襲ってくるシベリアの炎暑に苦しめられながら付近を探し回るが、目指す隕石はもちろんクレーターさえ見つからない。

そこで思い立ったのは、別の調査隊が隊長の名をとってスースロフ漏斗と名付けた池はクレーターであり、水底には隕石があるだろうという推測だった。

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かつてシベリア上空を飛んだ際に3,000mの高みから見下ろしたことがあるのだが、雪の消えたあとのシベリアは真っ平らなツンドラにポツポツと丸い池のようなものが散らばっており、熱カルスト漏斗と呼ばれる。氷雪の融解が繰り返されると地表に漏斗状の穴が開き、溜まった水が池となる。直径数m~20mといったところだろうか。(写真はカナダのもの)

スースロフ漏斗も直径10mほどだったのだが、クーリックたちは周りに溝を掘って、池の水を抜いてみることにした。

すっかり水の抜けた池底の泥を探ってみたが、予想を裏切って隕石はかけらも見つからなかった。

ふたたび爆心地と思われるあたりを丹念に探ってみたが、クーリックには隕石が落ちたという証拠はついに得られなかった。

そこでかれが考えた仮説は次のようなものである。

1 隕石は地表をかすめ、ふたたび宇宙に飛び去った。

2 隕石はごく小さなものだったが、超高速で地中に潜って地球を突き抜け          

  てしまった。


隕石を発見できなかったクーリックたちだが、1世紀を経た2013年、ウクライナ、アメリカ、ドイツの混成チームが調査に当たり、泥炭層の中に地球上にはほとんど存在しない鉱物を微量ながら検出し、ツングースカ爆発の原因は隕石爆発であることを裏付けた。

その際のエアバースト(空振)が広範囲の樹木倒壊をまねき、火災原因になったというのである。



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