自分の世界観を広げる

◆ 今日の前フリ ◆◇

昨日は久しぶりにクラシック音楽鑑賞会をやりました。といっても、音楽はほとんど聴かず、プロの楽器演奏者のウラ話にこちらが夢中になってしまい、あっという間に90分が終わってしまいました。

今日の本文に書いたこととリンクするのですが、自分が知らない世界を垣間見ることに快感を覚えたら、知的好奇心が拡大し、


  ● 知らない世界をもっと知りたい!!


と思うようになるんですよ。プロのクラシックの演奏家さんなんて、身近にいませんし、そんな人と音楽談義をする機会なんて、フツーの人は持てないわけですよ。それを身銭を切って聞くと、神経にビリビリと響くわけです。

昨日はたまたま歌手の話になりまして、歌手も歳を取ると声が出なくなって可哀想なことになるよねみたいな話から、声帯を絞って声を出すタイプの歌手は老化すると声が出なくなるということを教えてもらい、それってどういうこと?とさらに深い話になりました。

結論だけ書いても意味がないんですけど、玉置浩二さんとか、小田和正さんのような歌い方は劣化が少なくて、ビリージョエルみたいに絞り出すタイプの人はキツいだろうねなんてことらしいです。

他にもバイオリン奏者とビオラ奏者の性格の違いとか、お互いが相手をどう考えているのかという話も盛り上がりました。キッカケは、あれって似たような楽器だからどっちを弾いてもイケるんじゃないの?というところから、ビオラの奏者は渋い艶のある音を出しているのはビオラで、バイオリンは忙しくチャカチャカ軽い音を出しているだけだろと内心では思っているとか。

反対にバイオリン奏者は、ビオラってバイオリンが上手に弾けないからそっちに行ったわけでしょと思っているとか。で、プライドの高いのは圧倒的にバイオリン奏者だと。なんたって3歳や4歳からひたすら練習を続けているという点で、ピアノと同じだと。

楽団でもバイオリン奏者は高学歴の人が多く(つまり有名な音大を出ているということ)、楽器も高くてだいたい自前だと。そっかー、同じ高学歴でもピアノの人は自前ってことは無いモンね、という話で盛り上がったり。

でもピアノはソロだけで、楽団に所属している人って極めて少ないけど、バイオリンは第一バイオリンだけで10人以上いたりして、就職という意味ではバイオリンの方が有利だよねとか。

こんな話をするために月に一度、おカネを払って拙宅に来ていただいているんですが、世界観の広がり方は凄まじいモノがあると思います。

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☆ 自分の世界観を広げる

人間というのは案外狭い世界で生きているモノでして、自分が知っている、関わっているごくごく狭い枠の中で一生を過ごすのです。

そんな自分の住んでいる、所属している世界を深掘りすることをスキルを磨くと表現しているわけです。これはこれで大事なことですが、知っている世界だけ、自分が関わっている世界だけで生きると、人間がドンドン偏ってきます。

そうすると、自分の枠の中の世界だけが現実の世界であり、自分が知らない世界、関わっていない世界でも、自分の枠の中の世界と同じことが起こっているはずだと考えるようになるんです。サラリーマンで新卒で入社してそのまま20年、30年と同じ会社にいる人は、かなりこうなっています。

その枠の中で幸せを謳歌している人はまだマシなんですよ。曲がり形にも幸せなんですから。ところがその世界で落ちぶれたというか、思うように幸せになれていない人にとっては、その枠の世界にしか所属していないことが苦痛になるんですよね。

本当は、そうなる前に自分の世界の枠を広げなきゃならないんです。それはつまり、知らない世界に踏み込むということです。

そもそもこの世にはあなたの知らない世界が、無限といえるくらい存在するんです。そのことを痛感したければ、以下のことを試してみて下さい。これは速読編セミナーで解説するひとつのワザなんですが、あまり実行する人はいないんですよね。


まずあなたの住む町で一番大きな書店に行って下さい。最低でも3フロア以上ある大型の書店です。東京なら神保町の三省堂とか、大阪なら梅田の丸善ジュンク堂書店のようなところです。

そしてここで売られている本の背表紙つまりタイトルを、全てひとつ残らず眺めるのです。三省堂だと一階は雑誌が売っています。その雑誌のタイトルをひとつのコーナーあたり10秒くらいで、ザッと眺めます。10秒ですから手に取る時間はありません。なんとなくこんなタイトルの雑誌があるんだなということを知覚できたらOKです。すぐに横に移動して次のコーナーのタイトルを眺めて下さい。

つまりカニ歩きをしながら、書棚の上から下まで漏れなく、ザアッと眺めるのです。気になった本があっても手に取ってはいけません。そんなことしたら時間がいくらあっても足りませんから。あなたの目の前には天井に届くような高さの書棚が数百本あるのです。その全てをスキップすることなく、全冊タイトルだけを目に入れるのです。マンガも、絵本も、文庫本も、エロ本も、オタク向けの雑誌も、学術書も、専門家向けのディープな本も、アイドルの写真集も、児童書も、学参も、その書店に展示されている全ての本のタイトルだけを眺めるのです。


三省堂でこれをやった時には、開店から閉店まで掛かりました。あそこは6階建てなんですが、1階の雑誌と2階のノンフィクションと文庫、新書を見るだけでお昼になりました。軽くランチ休憩を取って、3階から始まる専門書が大きなヤマ場です。ビジネス、政治、経済あたりはまだどうにかなるんですが、法律、資格、思想、宗教、古典芸能、生活となると何について書かれているのかすら理解できません。

4階が終わった頃に立ちくらみがしまして、酸欠状態になりました。本を一冊も手に取っていないのに、背表紙に書かれているタイトルを眺めているだけなのに、文字情報が脳みそに入ってきません。脳みそがオーバーワークでパンクした状態です。

夕方までゆっくりとコーヒーを飲んで、体力を回復させ5階と6階に挑みました。ここは理工系の本や、コンピュータ関連の本があって馴染みがある一方、医学書や、学習参考書、さらには児童書にマンガとボリュームがあって歯ごたえがありました。

最後まで眺め終わったのと、閉店のアナウンスが始まったのはほぼ同時でした。この日だけで、単行本を5冊くらい読んだような疲労感がありました。

さて、この行をすることで私の何が変化したのでしょうか?次回はここを解説します。


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