正解が無い学びを意識する

◆ 今日の前フリ ◆◇

まずは、1月の課題図書の優秀賞を発表しましょう。今回の小説(どこまでノンフィクションだか分からないのですが)は、読みやすく、読後感が良かったので、読んでいて楽しかったと思います。

感想文の方も、みなさん似たようなところを選んだようですね。みなさんが同じようなポイントを書くと、選ぶ方としては何か違うところを書いている人はいないかな?と思うわけですよ。

その結果、今回はAkiko3さん、charonaoさん、kawa5emonさん、soji0329さん、andomanさんの5名が一次審査を突破しました。5人もいるというところがいつもと違いますよね。そして今回は、charonaoさんに差し上げることにしました。おめでとうございます。

そして今月の課題図書は、


銀行王 安田善次郎: 陰徳を積む
https://amzn.to/3aCTiJG


です。アマゾンの在庫も補充されたようなので、是非。


今週末は大阪で大感謝祭と、新春セミナー、九星気学セミナーがあります。申し込まれた方には詳細をご案内済みですので、届いていない方はご一報ください。

昨日はプレゼント用のお米の籾すりをしました。誰に中るのか分かりませんが、美味しく食べて欲しいと思います。我が家の玄米は、かなり乾燥させているはずなのですが、実は吸水時間はさほどでもなく、8時間もやれば十分柔らかく炊けるんですね。市販のモノだと12時間でも足りないみたいなことが書かれているんですが、この違いがどこから来るのか分かりません。

ただハッキリと違うのは、炊き上がった後のお米の形状です。オーガニック系のところで供される玄米って、粒がコロコロと丸くて、噛むとボソボソとしていて唾液が吸い取られるのですが、我が家の玄米はほとんど白米と変わりません。もちろん色は黄色いのですが、食感はフツーに白米ですから。これまたなぜこんな違いが出るのか分かりません。

出張中にお米を食べると、その異様な白さにドン引くのですが、田舎暮らしも8年目に入ると、何がフツーなのか分からなくなって来ますね。私は辛うじて、自分の方が異常なんだという認識は保持していますが。

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☆ 正解が無い学びを意識する

学生と社会人の端的な違いって、学生時代の勉強には正解があるけど、社会に出ると何が正解か分からない問題ばかりだということなんです。そもそも問いに対する解が複数あって、それぞれに点数が付くわけです。だから80点の正解もあれば、90点、100点もある。と思ったら150点なんて正解もあるわけですよ。


だから絶対の正解なんてモノは、社会人には無いんです。常に相対的に、「あれに比べてどうだったのか?」という比較がされるわけです。だから解の提示の仕方だって無限にあるんですよ。そもそも正解という概念が無いんですから。

そういう世界で結果を出すためにはどうしたら良いのか?というと、偏に解が存在しない問いを考え続けるしかないんです。

学校の問題点ってここで、学校で出される問題には正解が存在するんですね。模範解答はコレ、ってヤツが最初からあって、そこにどうやって到達するのかを学ぶことが勉強だと思われているわけです。ヒドい場合には、その答えを丸暗記しちゃえば良いじゃないかなんてこともあったりしてね。

小学校から大学受験まで、ひたすら存在する正解の見つけ方を学び、予行演習を繰り返し、如何に早く正解に辿り着くかを競争させられているんです。日本の教育の実態ってこれですから。

宝探しをたくさんのパターンでやっているようなモノですよ。ココ掘れワンワンっ言ったら、必ずそこにはお宝が隠されている、そんなゲームと椅子取り合戦を組み合わせたようなモノなんです。

社会人になっても、勉強とはそういうことだ、それがゴールだと思っていたら、これは完全に出遅れるというか、周回遅れは必至です。

社会人に課される問いに、模範解答も正解も無いわけで、つまりそれは解の導き方ですら、確立されていないかも知れないということです。例えば、


  ● 我が社が今後10年で、より発展するために何をするべきか?


なんて問いに答えなきゃならないわけです。ちなみにこの問いは、全ての経営者が24時間考え続けていることで、考え続けているのに「これだ!」という答えが見つからない、もしくは見つかったと思った答えが実は間違っていた(だから発展しなかった)という結果になっている、最難関の問いなんですよ。

みなさんが出世したいのなら、そして出世する途上では、このような問いが増えて来ますし、そのような問いでそれなりの確率で正解を出さなきゃならないんです。

これをどうやったらできるのかというと、問いに対するアプローチを、具体的なモノから抽象的なモノに変容させる訓練が必要です。これが良く言う「問いの次数を上げる」ということなんですが、脳みその回路を眼に見えるモノ、手で触れられるモノから、より抽象的な簡単に言えば、「概念」とか「思想」とか「方向性」とかのようなボヤッとしたモノに置き換えるんです。


抽象的というのは、眼に見えない、触れられないということですから、まさにこれは怪しい系の世界と親和性が高いんです。私のセミナーを受講した人が、成果を出しやすいのは、本人が気付かないうちに、私がこちらの抽象的な世界に誘導して、その世界でモノゴトを考えるようにさせているからなんです。

だから成功者って、怪しい系の世界に拒否感が無いばかりか、かなり積極的に関わっていたりするんです。

またこの世界に馴染むために、もっと五感を使った感覚的なことにも興味を持つ必要があるんです。ロジックや合理性を脇に措いておいて、あなたの主観で感じるモノ、入力として入って来た何かをもっと大事にするようにしたら良いです。

今年はメールマガジンでもこのあたりのことに踏み込んで解説できたら良いなと思っています。


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