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神は本当に細部に宿るのか

 最近の仕事の話。社内で制作しているTVCMの電車広告、いわゆる音声が出せないOOH用のテロップの作成業務をすることになった。ただテロップを打ち込むといっても、どのフォントで、縁の境界線は何ptで、といった具合に意外と考えることは多い。また、テロップが出現するタイミングについて、1コマずつ見ながら検証(主にTVCMは 24コマ/1秒 or 30コマ/1秒 の画からなっていることをこういった作業のときに改めて実感する)。何時間もこの微調整をしていると、何が正解か分からなくなってくるし、気が狂いそうになってくる。挙句の果てには「いったい、この1コマ前と後ろとで、電車の中で見た人は何か感じ方が変わるのかなあ」といった具合に、いらないことが頭に浮かんでくる。もちろん、チームリーダーのチェックが入る上に、代理店クリエイティブに展開と多くの人の目にも入るので手は抜けない。20世紀近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエの言葉「神は細部に宿る(God is in the details)」は、中学野球部の顧問に教わって以来、僕の中で大切にしてきた言葉の1つだが、ふと「絶対、ぜーーーーっったいだれも見てないし、こんな細部には神は宿っていなさそうだなあ」なんて思うことも時々ある。そういえばちょーーーーどうでもいいけど、10年間やっていた野球も試合中ボールが飛んでこないときにふと、「なんのために野球をやっているのだろう」なんて考えてしまうこともしばしば。すきあらばいらないことを考えてしまうたちのようだ。

 先日実家に帰り、リビングで母とTVをぼけーっと見ていると、三井不動産の新CMシリーズ「三井のすずちゃん」が流れる。中高生の頃、僕が広瀬すずのことを好きであることを知っている母に「あ、三井のすずちゃん、新しいやつ」と言うと、「これ嫌いなんだよね」と一言。以前も広瀬すずが出演しているAGCのCMに対して「なにこれ、札上げて歌ってるだけじゃん。何がいいの?」と辛辣なコメントをしている母。もはや姑根性的に広瀬すず批判をしている疑惑が僕の頭の片隅に浮かび始めながらも母の続けた言葉を聞くと意外にも理路整然とした言葉が並んだ。

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↑母が指摘するCMの最終カット

 CM未見の方のためにかいつまんでこのカットの説明をすると、三井不動産に何故か詳しい広瀬すずに対して、三井不動産スタッフと思われる画面全貌の男女2人が「力を貸してください!」と頭を下げているカットである。そしてその2人に対して広瀬すずは「頭を上げてください」と言わんばかりのジェスチャーを出す。母はどうやらこのときのジェスチャーが気に入らないらしい。「他人に、それも年上の人に頭を下げられたら、手のひらを上にして頭を上げるジェスチャーは傲慢でしょ。やめてください的に手のひらを相手に向けるのが自然だし、適した所作でしょ。まあ、どちらにしても頭下げている相手には見えないかもだけど」と言葉を続けた。僕はこの指摘以前に少なくとも5回はこのCMを目にしているが、全く気にならなかった。が、たしかに言われてみると、そのほうが自然だし、例えば演出家が、助監督が、あるいは自分のような制作部が、一言言うことによって変わり得る話だ。

 僕は15秒中のたった1.5秒ほどしか流れない、かつ完全に画面中央の「三井でふふふ♪」に視線誘導をしているこのカットに対してそんな見方をする人がいるのかと心から仰天した。それも意外と近くに存在した。本当に神は細部に宿っているのかもしれない。

明日月曜日、朝の清掃、隅々まで磨こう。



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