リアルナンパアカデミー、岡崎支部準強制性交等における「故意」の読み方

 2020年3月11日である。明日3月12日は、13:30にリアルナンパアカデミーの塾長の地裁判決が、15:00には岡崎支部準強制性交等事件の高裁判決が言い渡される。
どちらも準強制性交等罪の否認事件であり、「抗拒不能」の有無、「抗拒不能」の認識(故意)が争点になっている。
明日の判決のニュースが読みやすくなるよう、裁判所が「故意」をどのように事実認定するかを、今日のうちに書いておく。

「どのような要素を認識したら故意ありといえるのか」という疑問に対する答えは、ひとつではない。
要素としては、①自然的な生の事実の認識、②その社会的規範的意味の認識、③違法性の認識、④条文の認識が考えられる。
①が必要であり、④までは必要ないことは法曹の共通認識である。通説・判例は③の認識も不要である。
故意の有無を分ける主戦場は、②をどの程度認識するかというフィールドである。

準強制性交等罪における「抗拒不能」や「被害者の同意」は、まさに②の主戦場の問題である。

リアルナンパアカデミー事件は身体的抗拒不能が問題となり、岡崎支部準強制性交等事件は心理的抗拒不能の問題である。
前者における①は、酒の種類及び量・性交前に被害者がトイレで嘔吐したか・性交前に被害者は歩くことができたかなどである。
後者における①は、高裁において精神科医による鑑定と、この医師の尋問の内容に現れた客観的事実となろう。

ところで、裁判における故意の事実認定の仕方は、おおまかに言うと2つに分けられる。
直接証拠である被告人の供述によって認定する方法はイメージしやすいであろう。

しかし、もうひとつの方法には説明が必要である。
たとえば殺人事件で被告人が殺意否認ないし黙秘をしていても有罪判決が出る場合がある。
このような時、裁判所は、たとえば刺殺の場合であれば、創傷の部位・創傷の程度・凶器の性状・犯行前の行動・犯行後の行動などの客観的事実によって故意を認定し、これを否定する被告人の供述に信用性がないとするのである。
わかりやすいよう極端な例を挙げると、出刃包丁で胸と腹をメッタ刺しにし、傷のうち、心臓や肺に届いたものが5箇所あり、犯行前日に「殺人 逃走するには」の検索履歴があり、犯行後に逃走したという事案で、被告人が「殺意はありませんでした」と言っても、まず裁判所は殺意を認定した上、被告人供述に信用性がないとする。

この認定の仕方には、「故意は主観的要素であるのに、客観から故意を擬制し、被告人の供述を否定するのは、あらたな過失犯の創設である」という批判がある。しかしながら、裁判所は、その批判をスルーして、この認定の仕方を何十年も続けている。

本題に戻る。リアルナンパアカデミーの塾長と、岡崎準強制性交等事件の被告人は、ともに「抗拒不能の認識なし」「被害者の同意があると誤信した」と、主張している。
岡崎準強制性交等事件の地裁判決には、捜査機関が、被告人の自白調書をデッチ上げたという、かなり衝撃的な事実が認定されている。この事件は、地裁段階では、「抗拒不能」の事実が否定されたので、故意認定が問題とならなかったが、もし高裁で「抗拒不能」が認定されたら、次の戦場は「故意」である。

両事件ともに、故意を被告人供述から認定することはできないので、もし故意を認定するとしたら客観的事実から故意を認定する方法しかない。

久留米準強姦事件の高裁は、被告人は抗拒不能の状態にある被害者をみて性交に及んだので抗拒不能の認識があるとした。
177条の事件であるが、新井浩文事件の地裁は、暴行が被害者の抵抗を著しく困難にする程度だったか、被害者の同意の認識はどうかの2点につき、やはり客観的事実から認定し、被告人供述の信用性を否定した。
どちらも冒頭の①〜④のうち、かなり①に寄せた②で故意を認定している。

明日、リアルナンパアカデミー事件と、岡崎支部準強制性交等事件の高裁判決で、故意の認定のやり方がわからない場合は、このnoteにある2つの方法を思い出していただきたい。



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