2018.06.05 東京都墨田区押上

2018.06.05 東京都墨田区押上

もうすぐ入梅だろう。
晴れ間が出ると気温は大きく上がる。
湿度も高い。少し動くと汗が止まらなくなる。

治療者患者関係が緩む。そんな瞬間にこそ患者さんは、ひとりのひと、としての姿を私達の前に示す。

素と言うのか、まるで患者という衣、それを一旦、身から外す。そんな瞬間がある。
その時のことを思い起こすと、私もまた、治療者としての衣を一旦身から外していた時にそれは現れるのかもしれない。

つい最近もそんな瞬間があった。

昼休み、喫煙所で煙草を吸っている時だった。
私達も生きていればいろんな問題を抱える時がある。当たり前だ生きているのだから。ふと、今ある、そんな問題に想いを巡らせている時だったと思う。
「ん…」
狭い喫煙所に分け入るように入ってきた患者さんがいた。お互いさっきまで同じ空間にいた。その時はスタッフや治療者、支援者といわれる立場と、メンバーや患者、利用者といわれる立場だ。

目が合って

お互いそのことを認識した瞬間、お互い言葉は交わさなかったが、照れたような笑顔になった。

「どうも」。そんな感じだったともう。喫煙所では良くある話だ。公的な場ではなく、患者や治療者という役割から一旦外れ一息つく。そんな場所が喫煙所だろうと思う。お互いに生活する者同士、素の関係性がそこには発生するのかもしれない。

いったい治療とはなんなのだろうか。
誰を治すのか。
「素」ではないひとが患者なのか。
リハビリテーションとは、病や障害を持ちながらもより良く、豊かに生きることを支え、実現することが仕事である。
患者さんが生きるのは、すの自分だろう。
では何故、この素の人を感じることが特別な様に感じられるのか。

リハビリテーションに関わる私たちが、対象とする患者さんに向ける眼差しはこの様な深度があることも大切なのだろうと思う。

私達は、病気や障害を見るのではない。
ひと、そのひとの生活を見るのだ。
だからその目の前にいるひとの「素」に想いを馳せるそのことを忘れないようにしないと全てを見失うのだろうと想っている。

読んでいただいてありがとうございます。サポート頂いたお金でビール飲みながら色々考えます。