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ウクライナの人たちへ〜Gustavo Anacletoさん〜

「ウクライナの人たちへ支援を」

クラウドファンディング
募金プロジェクト


プロジェクト内容は以下のようなものになります。

(プロジェクト期間:2022年4月29日~10月末)

①募金による支援を募ります

②支援のお礼にウクライナ国旗カラーと日本国旗カラーのビーズのしおりorバッグチャームを送ります

③集めたお金はウクライナの人々のもとへ送ります

④お金がどのように使われたか写真や動画も添えてご報告します

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資金の使い道

・Gustavoファミリーの避難のための費用(移動・滞在費用、食料や生活費用)
・ウクライナの人々への支援(生活支援を行なっている団体やボランティアグループ、もしくは直接被害を受けている個人などに寄付金を送ります)

新着情報の発信

新着情報等について、以下より発信致します。
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Gustavoファミリーとウクライナの状況


こんにちは。私は東京在住のブラジル出身ミュージシャン Gustavo Anacleto(グスタボ・アナクレト)と申します。

ウクライナ出身のピアニストの妻Olga(オルガ)や家族がおり、仕事の関係で日本とウクライナを行き来する生活をしていたところ、ロシア軍のウクライナ侵攻が発生。

妻や家族はウクライナ、私は東京で離れ離れとなり、電話やインターネットで、SNSなどもつながらくなるような不安な日々がつづいていました。現在は家族と無事に連絡が付き、ハンガリーで合流することができましたが、依然として祖国に戻れる日がいつになるのか、わからない日々が続いています(下:私とOlgaの写真)


侵攻発生後の状況

2022年2月24日のウクライナ時間早朝 (日本時間午後)、妻から電話があり、
「グスタボ、戦争が始まってしまったわ。銃声と爆弾の音で目が覚めた」
と告げられました。

大きなショックでしたが、どうすることもできませんでした。

戦争開始後、彼女が家族とウクライナからスロバキア、そして無事にハンガリーへと逃げることができたのは18日後のことです。

避難している期間中、明かりが見えると戦闘機の標的にされるため、Olgaは家中の灯りを消して、私に電話で話すこともありました。インターネットがつながらず、連絡自体とれない日もありました。

いまだから言えますが、これが彼女と話せる最後の電話だったかもしれないと何度か感じていました。

食料品を買うために行った店先で、銃声や爆弾音が近づいてきたため、長い列にならんだけれど、何も買えずに家に帰ったりすることもあったようです。

生きるか死ぬかに関わるような生活必需品の買い物ですらままならぬ状況でした。


時系列での家族の行動


2/24:ロシア軍がウクライナへの軍事侵攻を開始

3/14:Olgaと家族が避難のため、ロシアやベラルーシに近いチェルニーヒウから首都キーウに移動
※通常列車で2時間弱のところ、ロシア軍の検問などの事情で7時間の移動を余儀なくされる
食料提供など人道支援団体の場となっているフィットネスジムに滞在

3/15:国境を越え避難するため スロバキアに近いウジホールドに移動

3/16:スロバキアの国境を越え、国境から2.5時間の町Kosice に移動
ハンガリーへのバス移動の準備を行う

3/17:Hungary Budapestに到着、日本から滞在先の手配などサポートしていたGustavoと再会


↓写真:避難時の様子


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Gustavoより皆様へのメッセージ

私たちは、日常のいたるところにあふれている自由という喜びを見過ごしています。

家族と公園を歩いたり、友達と会ったり、買い物を楽しんだり、食料品を買ったり、カフェでおしゃべりをつづけたり。

わたしたちを幸せで満たしてくれる日常は、とてもシンプルで当たり前に訪れるものと多くの人が感じていたはず。

ところがこの数年、自由というよろこびと当たり前と思っていた小さな日常が、当たり前ではないのかもしれないという状況が発生しています。非常に困難な道のりの中、いまや「安全」と「安定」は抽象的で曖昧なものだと身をもって学んでいます。

2011年に東北大震災が日本を襲ったとき、私は東京にいました。私のなかで「安全」と「安定」がほんの数分で消えた瞬間でした。

この経験を経て、私は生き方を見つめなおす機会としました。自分を満たしてくれる小さな幸せは大切にしたいと思う一方、生きるうえでの必要最低限ということを考え、暮らしをミニマイズしようと努めました。

2011年の学びから得たライフスタイルを生きようとしていましたが、コロナ危機が始まった時、残念ながら他の人々同様、特別な備えをしていませんでした。

2020年に私はウクライナに移り住み、新しい文化、新しい言語という新規プロジェクトのような日々に身を置いていました。妻のOlgaはウクライナ出身のため、私はウクライナと日本を行き来する生活を送っていました。コロナ禍で、東京で非常事態宣言が発令された時にウクライナに移り、非常事態宣言が緩和されると、日本に戻るという状況でした。

そして、次の非日常が発生しました。今回の戦争です。

銃声や爆撃音が聞こえ、日常に必要な生活必需品の買い物ですらままならぬ状況。そんな様子を聞くと、最悪のニュースもあるかもしれないという弱気な自分がいたことを告白します。

でも、私の中の何かが「きっと大丈夫、希望を持とう」とあきらめず、自分に言い聞かせていました。

ネバーギブアップ!トンネルの出口に光がなくてもあきらめないでください。人生の最後かもしれないという状況に直面しても、夢を追い、新しいプロジェクトに挑戦し、大切な人と時間や食事を楽しんでください。それこそが、とてつもなく大切で価値のあることだと思います。

この困難のなか、私たちを支援してくれた皆さまに感謝します。

(以下、英語での原文です。上記、日本語はZenesスタッフが翻訳したものです。)
Sometimes we take little things as granted, the freedom to walk at some park with family, to meet with friends ,to shop around, buy groceries, to have endless talks with friends at some cafe, besides other activities that makes us happy. 

All of these daily basis things/activities seems so simple for many of us but In these last years all of our freedoms and little related things that we took for granted has been put in check. 

We learned on the hardest way that the “security “ and “stability” are just abstract words.

Back in 2011 I was in Tokyo when the Tohoku big earthquake hit most part of Japan, at that moment I experienced that my “security “ and “stability” just vanished in matter of minutes.

By passing thru this experience I did re-think about may way of life, started to minimize my life style and focused on basic survival but not neglected my little things that makes me happy.

After Covid crisis started I was not prepared for it like many other people around the world but at that time I was still living the life style that I choose to live back in 2011, but one difference, in 2020 I moved to Ukraine to start a new life project , internationalization, a new culture, a new language. Olga my wife is from Ukraine and I was living the life between Ukraine and Japan during Covid, when state of emergency(kind of lockdown for Japan ) started in Tokyo I moved to Ukraine, when the state of emergency was easing I came back to Japan for work and vice versa. Again I was not prepared for what would happen on the next. In the afternoon in Japan (Early morning in Ukraine ) of 24th of February 2022 I received a phone call from my wife, “Gustavo, the war started, I woke up with sounds of shoots and bombs, she said on the phone”
I was shocked at the same time I could do nothing to help at that very moment. It was 18 long days since the war started until she and her family could finally scape from Ukraine to Slovakia at first and then Hungary . There was times that we talked like it was the last time , sometimes talked on the phone but no light at home ( it was to prevent the airplanes to bomb her build by seen some sign of lights) somedays no Internet connexion, somedays she went to buy groceries but could not wait in line for long time because it was possible to hear the sounds of shoots and bombs coming closer , many times she give up to buy and went back home with empty hands because it was matter of life or death just to shopping for essential food. Confess that at that point I was waiting for the worst news, but something inside me was telling me that it will be alright and that I just should be patient. To make the long story short , my message is : 

Never give up even if there is no light on the end of tunnel, even you face the possible end of your life it’s worth to follow your dreams, to spend time with people that you care, to start a new project, to have the last meal in a grand style enjoying the little things that has a huge importance. 

A big Thanks for each of you that helped us in this difficult moment.


Gustavo Anacletoについて


ブラジル北東部ペルナンブーコ州レシフェ出身。

幼少時より独学でギター、サックスを弾き始め、レシフェ芸術学校に入学。在学中より音楽活動を開始。ブラジル国内のみならず、フランスや中国、シンガポール等、海外でも公演。

2006年にブラジルのグラミー賞にあたるティン・フェスティバルで所属バンド「スポッキ・フレーボ・オーケストラ」がRevolution賞を受賞。同年日本に来日。Anri杏里、小野リサ(Lisa Ono)などと共演。

その音楽的範囲は非常に広く共演の依頼は後をたたない。現代的な音色とブラジル人独特なメロディックなインプロビゼーションと的確なスイングで、日本在住のブラジル人プロサックスプレーヤー、唯一無二の存在として今最も注目されているミュージシャンである。

Gustavo Anacletoホームページ


共演アーティスト *略敬称

マルコス・ヴァーリ&ステイシー・ケント@Blue note 東京‘14、 伊藤君子、故越智順子、日野賢治、トミーキャンベル、TOKU、井上祐一、海野雅威、吉田和雄、コモブチ・キイチロウ、カティア、ヴィウマ、シルビオ、パウロ、フランシス、前田優子、Chie、TOYONO
演奏イベント

モーションブルー横浜、イクスペアリ、青山プラッサオンゼ、吉祥寺ストリングス、サムタイム、銀座スウィング、六本木サテンドール、渋谷ジェイジーブラットといったライブハウスや六本木ヒルズ、リッツカールトン、マンダリンなどの一流ホテルでの演奏

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