第1回 『再開』 (2022.12.31 )

光陰矢の如し。

2022年も終わります。

思いだし考えだし

今年の仕事(?)納めに

3年ぶりくらいに一筆とってコラム書きました。

お時間ありましたら、ぜひお付き合いください。


さて。

人にキツイことを言う時、

僕は、

言うからには嫌われることも仕方なしと覚悟して言う。

だけども僕はこのキツイことを

嫌われたくないと本当はすごく思ってる人にしか言えない。

まぁ嫌われたとしても

僕が嫌われるくらいのことで

相手の人生が幸せに導かれるのなら

結果として安いもんだろう

とか自分に言い聞かす。

逆に

嫌われても別にいいや、って人には

キツイことは言えない。

キツイことって言われた側は当然キツイけど

言う方も実はものすごく気力と体力がいる。

僕は、

嫌われても別にいい人に

僕の気力と体力を使ってやれるほど

できた人間ではないのだ。


そう思うと

嫌われたくない人には

嫌われるかもしれないことをして

嫌われてもいい人には

嫌われることはしない。


これは矛盾だ。


だけど僕は

この矛盾こそが人間だよな、とか思っている。



年の瀬にそんなことを

海風で運ばれた砂塗れの窓を拭きながら考えていた。


何か無意識でできる作業をしている時、

僕の脳内のワープロは一番活性化する。

湧いては消え、湧いては消えるこれらの言葉と感情を

出来るだけ漏らさぬように

掬い取ってはこの現代機器に打ち込んで

誰に見せるでもないメモとして眠らせておくのだ。



実は、僕の書くウタは昔から

ほとんどが、そんな眠らされている詩-ウタ-からできている。

全てが歌-ウタ-にまでなりきれないのは

中には当然、

「いや、流石にこんなもん誰に刺さんねん」

という弱輩もいるからである。


もちろん、僕がウタを書く時、

景色を切り取る時も

場面を切り取る時も

誰かを切り取る時もあるけれど

僕自身が一番好きな僕の歌-ウタ-は

僕の心が削り取られた時の詩-ウタ-だ。


20代、

きっと僕(ら)と出会ってくれた人の多くは

僕(ら)の中から削り取られた、

"恋愛"と"家族"のウタを好きになってくれてたんだと思う。

"家族"の方は僕自身の人生のテーマであり、

こちらは今もなお尽きないことであるけれど、


一方で、

段々と僕の中から

削り取れる"恋愛"の残りが少なくなっていくことを感じ始める。

そして2019.09.15に

0 -ZERO- で、
僕の中の全ての"恋愛”は削り取られ尽くし

タイトル通りの0になった。


いま、僕には愛している女性がいる。

だが、僕はもう恋はしていないのだ。


僕は思う。

まず、

音楽を始めてからの約20年間で

自分の中の全ての"恋愛"を

余すことなく削り取ることができたこと。

そしてなにより、

それを聞いてくれる人たちがいたこと。
(今もいること)

これはイチミュージシャンとして、

とても幸せなことだと思う。

だってこれは、

10年かけて丸裸にした、

僕の20年以上に渡る"恋愛"を

沢山の人が素敵だ言ってくれたと

等しいことだと思うから。

そしてこの先は、

そこにもうない僕自身の"恋愛"を削りとることではなく、

これまでのウタをいつまでも歌い続けていくことがきっと

僕の"恋愛"を素敵だと言ってくれた沢山の人に対してできる

一番の音返しだろうと。

そして、それと同時に

僕の中の“恋愛"のいたスペースを埋めてくる新たなヤツら

それは顔馴染みの"家族"であったり

初めましての"命"だったり

くだらない"怒り"だったり

静かに燃ゆる"決意"だったり

はたまた理解不明な”ナニカ”だったり。

その多くはもしかしたら今までに求められてきた僕ではないのかもしれないけど

そんなヤツらを削り取り詩-ウタ-にしていくこと。

それがきっと、

これからの僕ができる

一番僕らしいと音返しだとも思う。


これはあくまでも僕の価値観だが、

ウタを”書き”続けるってことは

ずっと同じ場所にはいられないってことだと思うんだ。


同じ場所に居続けるってことは、

それはきっと同じティーパックで紅茶を何回か飲むのと

同じようなことだと思ってしまうから。

仮に僕が摘んだ側の人間だとしたら

いつだって一番美味しい紅茶を飲んで欲しいと思ってしまうから。


それは、

あなたの今一番好きだった味でなくなっているかもしれない。

今一番飲みたい味ではないかもしれない。

そしてもう二度と飲みたくないと思ってしまう味かもしれない。

だけど、

この世界線上でこれからもずっと知らないままでいられる何処かの誰かさんのあなたならば、

僕は何も躊躇わず湿りきったティーパックを差し出すだろう。

だけど限りある人生の中で私を選んでくれる可能性があるあなたには

ただ一言、

やっぱりあの顔で美味しいと言ってほしいのだ。

そこにしかめっ面を覗かせる可能性が顔を覗かせていたとしたって。


あぁそうか、

僕はやっぱり

本当に嫌われたくない人には

嫌われるかもしれないことをして

嫌われてもいい人には

嫌われなそうなことをしてるんだろうなぁ。


でもやっぱり


この矛盾こそが人間だよなぁ。



さぁ、今後はどんな身が削り取られていくのだろう。

今の僕ですら明日の僕のことはわからないけど、

とりあえず間違いなく言えることは

2022(2021)に詩った10数曲は、

間違いなく僕という人間臭さでできています。

そんなエゴ達にお付き合い頂き、

そして何より愛して頂いた皆さん、

本当にありがとうございました。


全てを愛してくれとは言いません。

全てを愛せる人間は多分つまらないと、

僕は思うからさ。



だからもしも来年以降もまた

皆さんのお耳とお心に少しでも隙間があった時、

ぜひお付き合い頂けたら幸せです。


嫌われるかもしれない恐怖と戦いながら

アナタを

笑わせていきたいと思います。



2022.12.31 平井 翔馬

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