農村伝説と風評被害について

終末です。
下記のまとめについて苦情と反論(というかお伝えしておきたいことがあります)を述べます。
ちょっとこれでも急いで書いているので、誤字脱字などはお許し下さい。

その前に…この記事は一定時で削除されます。その理由としては、この話題について、まあ、あまり人々に知られたくない…何かそこに相応の理由があるかもしれないと私が考えているからです。
お三方は読まれましたら「読んだよ」というリアクション頂ければ幸いです。

「イノシシに入られた田んぼの米は臭いがついて売れない」というのは根拠のない風評に過ぎない、という話 - Togetter https://togetter.com/li/1764798

まず第一に私のツイートの意図について説明しますが、「被害を軽んじて欲しくない」という気持ちから書いたツイートであって、「イノシシに入られた田んぼの米は臭いがついて売れない」とは書いてないし、そのような意図で書かれたものではないということです。

猪が田んぼに入った画像あったけど、あれ見たら倒れた部分だけがダメージだと思うやん?違うんだよね。一枚全部ダメになってんだよね。入られただけでものすごいダメージなんだという。
— 🦌終末かまってちゃん🐻 (@shoujo_shuumatu) August 23, 2021

いささかオーバーな事を書いている反省はあります。ただ「におい」については、諸説あり、色々考えるとデリケートな問題かもしれないので「あえて書いていない」のです。

それを北方さんが次のようにミスリードする形で引用します。

この話、確かによく聞くけど。
実際問題どれくらい臭いが付いて、出荷出来なくなってるんですかね?10年近くこの世界に居ますが、一部の踏み倒しが、一枚分の収穫米全てに影響したという実例を知らないんですが… — 北方の山人@会津藩 (@yamodo1303) August 24, 2021

この「実際問題どれくらい臭いが付いて、出荷出来なくなってるんですかね?」というくだり。そんなことは書いてないのだから、これは北方さんの意図的なミスリードなのですが、私はこのミスリードに関してはスルーしています。
(今から思うと、この時点で「そんなことは一言も書いてありませんよ」と言えば良かったのですが…)

続く北方さんのと会話の中で私は、全損にする人もいれば、部分的に刈り取る人もいるだろう、それは農家の人が決めることだというスタンスでお話ししています。
ところで「におい」についてですが、殆どの研究者が科学的根拠はないと言うでしょう。
後で述べますが、それは知っています。

しかし、一方で、「臭い(くさい)」といった体験談を口にする生産者もまた存在してます。
実際にTwitterでも類似するリプを寄せた生産者もいました。

「科学的根拠がない」という事はひとつの事実ではあるのですが、こうした生産者が存在していることはどう考えればいいでしょうか。
私はこの「におい」の問題については肯定も否定もしていません。
どうして私がそうしているのか、ということについて述べたいと思います。

風評被害とは何か

ただその前に「風評被害」というものについても少し共有しておきたい点があるので説明させて下さい。
一般に「風評被害」というのは「非当事者」によるものです。
判りやすい例を出しますと、例えば「食べてはいけない」では、出版社や一部の専門家(非当事者)が疑似科学を用いて、デマ、フェイクを作り上げ、それを一般の消費者(非当事者)が信じ込むことで広まり、メーカー(当事者)が被害を受けました。
あるいは、フクシマの放射能問題を新聞やテレビ(メディア=非当事者)が取り上げ、福島の農作物の生産者(当事者)が困窮するといった事例も典型でしょう。
最近ではワクチンの危険性を巡るデマ、フェイクも一種の「風評被害」だと言えるでしょう。

「風評被害」は、災害・環境情報が過度に報道されることによって引き起こる【社会パニック】であり、当事者(この場合は生産者)によるものではなく、常に「非当事者」によるデマ、偏見、誤解によって、当事者に「経済的な被害」が生じます。そこでは当事者の声は一切無視されて事態が進んでしまうのです。
これが「風評被害」の基本的な「モデル」だと言えます。

ところが「猪のにおい」については、どうでしょう。これらは農村部で生産者の間に広まっているもので、非当事者である消費者や、メディアが広めているものではないのですね。
例えば、ある主婦(消費者)が「〇〇県の農家の〇〇さんちには猪が入ったらしい、そして〇〇県の○○というお米には〇〇さんちのお米が入っているかもしれないから買わないでおこう」といった行動を行うかというと、とても考えにくいわけです(あり得ないですよね)。
また実際にそうした世論があったり、消費者がそのような行動をしている事実もない(お米の流通過程を考えると起きようがない)わけです。

「猪のにおい」については、「非当事者」ではなく「当事者(生産者)が主張している」あるいは「信じ込んでいる」という点で、まず所謂「風評被害」とは異質なものだと言えます。

「猪のにおい」とは何か~農村伝説

科学的には否定出来る、しかし、科学的根拠があるとしても「現にそう言う生産者が存在していること」を否定する根拠には成り得えるでしょうか。それはひとつの事実であり「正しい」けれど、だからといって、そうした人々を軽んじたり、無知だと言って良いでしょうか。
私は「猪のにおい」については否定も肯定もしていません。
なぜならば、そこには何か他に理由があるかもしれないからです。
それが自分とは異なる生活や価値観に基づくものだったらどうでしょうか。

ある研究機関によると(公式ステートメントに出来ないので名前は出せませんが有力なところです)官能試験とまではいかないにしても、研究者の間で実際に食べ比べをしたという事実があります。
結果は「全く違いが判らなかった」ということでした。
私が聞いた中で印象に残ったのは「部分刈りする手間を考えると、全損にして保険(共済)を貰った方が良い」というものです。この際に「においが付いてダメになった」という言い訳が都合が良いのです。
つまり、生きる上での一種の「方便」として機能してきたのではないか。というものです。

ある農家の人によると、一部入られただけで全部ダメになることはない。しかし、程度によるが部分刈りするのは手間がかかるため、一枚分潰すこともあるということでした。
ただ、この農家の人は、農協にもいた関係筋で「今は仕組みがまた変わったのでどうか判らないが」と前置きした上で「猪で全損を出しても共済はおりない」ときっぱり答えています。
ただ一方で「猪のにおい」が付くなどいうことは有り得るか?という問いには、「それはあり得るかもしれない」と答えています。
また別のある研究者は「感覚的感情的見解」と述べていました。

「猪のにおい」に限らず、農村部には科学的な根拠はないが信じられている話が数々あり、ある研究者は「農村伝説(⇔都市伝説)」と呼んでいるそうです。

「農村伝説」の多くは他愛もない事だと思いますが、その一部は彼ら(当事者)にそう言わせている社会的、文化的な背景があるはずです。それは多く取れても赤になり、少なくても赤になるという農業特有の市場・価格システムかもしれないし、国や行政、農協を始めとする統治機構かもしれないし、生活上の理由やプライド、感情かもしれません。
科学的根拠ではない、何かがそこにはあると思うのです。
それで私は否定も肯定もしたくないのです。
もし、それらを否定するなら彼らの目線に立って、何がそう言わしめているのか、そこまで掘り下げて探る必要があるのではないでしょうか。
それは自分を納得させるための言葉かもしれないし、(あり得ないとしても)保険を貰うための方便かもしれません。
仮に実は生活がかかった理由があるのだとしたら、科学的な根拠はないと言ってそれが正しいとしても、彼らにしてみたら「余計なお世話」かもしれないのです。

ただ、それとは別にTwitterでも類似するリプを貰っていますが「ある条件下ではそういうこともあるかもしれない」とも考えています。

ところで「農村伝説」ですが、我々猟師も「猟師伝説」めいたものを持っています。例えば「猪のにおい」ならぬ「人間のにおい」「金属のにおい」などが典型的ではないでしょうか。このために我々の一部にはずっとお風呂に入らないという人もいます。買ったばかりの罠を雨ざらしにしてから使う人もいます。お風呂に入らなくても人間は人間ですし、鹿は鉄が好きだったりもするのですが、ここではそうした事実は無視されています。
私自身はこうした話を信じていませんが、しかし、だからといってそうしている猟師の人がいたとして、その人を無知だと軽んじたりバカにする気にはなれません。
また科学的な根拠はないからと言って「こうしなさい。なぜならばそれが正しいから!」と言う気にもなれません。

自分は信じませんが、信じている人にとってはそれが真であり、その人の価値観なのだから、それは尊重すべきだと考えます。

皆さんに対する批判

「猪のにおい」について私が肯定も否定もしない理由は上記のような説明で十分かと思います。
科学的根拠はないけれど、何か他に理由があるかもしれない。それが判らないまま科学的根拠だけで否定すると、もしかしたら「余計なお節介」になるかもしれない、ということです。簡単に言えば。

【正しい事を言っても、それが正しい行いになるかどうかは判らない】ということです。

次に皆さんに対する批判というか、ダメだなと思う点を僭越ながら述べさせて頂きます。

まず北方さんですが、第一に、これは先述したように当事者による言動であって「風評被害」とは異質なものであること。
また一言も「猪のにおい」について私は「実は触れていない」(上記のような理由があって触れないのですが)のに「イノシシに入られた田んぼの米は臭いがついて売れない」と騒いでいる点がダメです。

はい。これに関してははっきり自分で言って自分で騒いでおられますよね。
「マッチポンプ」(自作自演)ではないでしょうか。

実際には猪の被害を(程度によるが)当事者がどう捉え、それをどう彼らが表現しているか?それはなぜなのか?という問題だと思います。この時点では猪の被害がそこにあるだけで、「猪のにおい」は結果として「そういう表現・現象」として立ち現れているものです。

私の反省点ですが、すぐに「ミスリードだ」と北方さんに指摘しなかったこと。そして、確かにちょっと入られたぐらいで一枚ダメになるわけではない(がそうなる、あるいはそうすることもある)ので、私の表現も誤解を招きやすいオーバーな表現だったことです。

しかしです。なぜ北方さんは消費者の間でそのような噂が広まり、農家の人に経済被害が生じているわけではないのに、「イノシシに入られた田んぼの米は臭いがついて売れない」と騒がねばならないのでしょうか。
それは北方さんが、猪からも、「風評被害」、新聞やテレビなどマスメディアからも農家を守り、正しく導く存在であろうとしているからではないでしょうか。
つまり「農家を正しく導く猟師」という自己実現のために「風評被害」が必要とされているのではないか?ということです。

北方さんは私とのやり取りの中で次のように発言されています。

別な地域で起きている問題が、今後私の地域に来ると仮定すると。相応の準備が必要だと思うんですよ。仮に、仮に「臭い」の話が風評だとしたら正しいデータを普及させて、無用な損益を防ぐ事が出来ますよね。風評でなく実例なのであれば、事前の対応を一層行う必要があると考えます。そのために調べます
— 北方の山人@会津藩 (@yamodo1303) August 24, 2021

北方さんの第二のダメ…というか、これはなんとなく気になる点です。
それは人々の言動の裏側にある社会的背景やメカニズムを探ろうとせず、科学的な正しさだけで一方的に自分が他者を正しく導びけると考えている(かもしれない)点です。

これは難しい言葉でいうと「パターナリズム」と呼ばれています。
パターナリズムは簡単に言うと「お節介」です。今風に言うと「教え魔」的な態度でしょう。
アメリカがアフガニスタンに侵攻しました。「やられたからやり返すよ?」というのはパターナリズムではありません。しかし途中から「女性の開放、民主化のため」の戦争になりました。これはパターナリズムです。言っている事は正しいんですけど、アフガニスタンの人たちにとってそれは何だったかということです。これは軍人のせいではありませんね。指導者の責任です。

FBである猟師が入林許可を貰えないというので、リプ欄に「俺たちが森林を守ってやっているのに」というベテランの猟師の人たちの不満が並んでいました。これはパターナリズムです。
大したお金にもならないのに「社会貢献」だとして黙々と有害を続けている猟師の人たちを私は知っています。これはパターナリズムではありません。私はそんな人たちを尊敬していますが、それも黙々とやっているから価値があるのであって、もしそこで「俺がしてやっているんだ」と一片でも考えたらどうでしょうか。その途端に、その行為は「社会貢献」から全く別のものにすり替わってしまうでしょう。

射場で「教え魔」と呼ばれる人たちがいます。私も苦手です。彼らの言っていることは大抵正しいのです。そしてしばしば彼らは必要ともされているのですが、大抵の場合、彼らは疎まれています。なぜでしょうか。

パターナリズムの特徴は相手を無知で自分より劣った存在だと見なしていることです。そしてしばしば、それは実際にそういう関係であるのですが、パターナリズムは、そこで相手より優位である自分が見守り、正しく導かねばならないと考えるものなのです。
もちろん状況によっては「教え魔」が歓迎されるように、パターナリズムが必要とされる時もあります。
「パターナリズムだからいけない」というわけではないのですが、例えばどうして北方さんは私のリプを引用し書いてもいないことを騒ぎ立たのでしょうか。
もしかしたら、北方さんは私を自分より無知で劣った存在だと見なしていないでしょうか。
北方さんはこんなことを書いています。

そういう敵を自壊させて、その後に味方に引き入れるような事をやってます。
— 北方の山人@会津藩 (@yamodo1303) August 24, 2021

「そういう敵」とは何でしょうか。
北方さんの理想とするところ、心意気は素晴らしい事だと思います。しかし、すごく気になるのですが、本当のところ北方さんは農家の人々(や世の中の人々)をどう捉えているのでしょうか。

「助けて欲しい」という声があれば手を差し伸べればいいと思います。
しかし、被害をどう捉え、どう評価し、それをどう表現するかは、当事者である彼らが決めれば良いことで他者が正しいからといって決めることではありません。
私はそう思います。

次にlinさんですが、次のように述べておられます。

ここまでわかっていてなぜ「臭い」を気にして全廃棄したりするのか?というと、やはり「イノシシがいままで分布していなかったことによる知識不足」が原因です。ほとんどの場合、地域の農協や県のエラい人が、科学的根拠もない「臭い」を恐れているのです。 lin (@lindow_k) August 24, 2021

linさんのダメだなと思う点は原因を「イノシシがいままで分布していなかったことによる知識不足」と断じてしまっている点です。
「におい」について科学的な根拠がないのは知っていますが、私があまりそれに触れないようにしたいのは、先にも申し上げたように「猪のにおい」は例えば「方便」に過ぎず、社会的・文化的背景があって、そういう表現が人々の間に採用されているかもしれない可能性があるからです。
もしそうだとすると、お二人が述べておられることは意味が全く変わってしまいます。
そこに他の理由が存在していて、それが生活上、経済上の事情を孕んでいるのだとしたら、「無知」として滑稽に見えるのは果たしてどちらでしょうか。

そして、「無い」ことを証明するのは難しい、という問題が立ちはだかっています。誰かが「ある」と言ったら「ある」ことになってしまう。それがまかり通るのが農村です。
lin (@lindow_k) August 24, 2021

私も全くそうだと感じます。しかし、閉鎖的な場であっても、全くメリットがないのに人々が信じているのは奇妙なことです。この場合「メリット」というのは様々な事が想定されます。例えば人間が感情を持ち日々を営んでいる以上「自分を納得させるための言葉」としても十分な理由だと私は思います。
あるいは補填がかかるとか、そう言うと都合の良い事情があるなら、それは社会構造的な問題であって、信じ込んでいる本人を非難出来ないでしょう。

linさんの場合は地域に特殊な事情があるということですので、他にも思ったことがあったのですが、以上の一点で終わります。一方で疑問があります。地域に既に「風評被害」が生じていることについてはやや情報不足かなという印象でした。
例えば「風評被害」というのは具体的にどのような「経済的被害」が生じているのでしょうか。
行政やjaが出荷停止しているということでしたが、まさか「猪のにおい」を理由に出荷停止にしているとはとても考え難いです。それ自体は何か別の理由、豚コレラの防疫上の理由など、もう少し根拠のある話ではないでしょうか。
そもそも全面的に「出荷停止」なら風評被害ではなくて、単にそのように上から決められて出せないのであって、風評被害で出せないのとは違うと思うのですが、そこはどうなっているのでしょうか。

農家には猪が入るとなぜ全面的に出荷停止なのか理由が正確に伝わっていないということでしょうか。出荷停止になった場合の補填などはあるのでしょうか。
しかし、先にも申し上げたように「猪のにおい」という表現が出荷停止という理不尽な事態を人々が飲み込むために機能しているのだとしたら、どうでしょうか。
それは人々が無知だからしていることではなく、人が人だからそうしていることだと言えないでしょうか。

最後に桔梗さんですが、先述した様に「風評被害」は主に非当事者、マスメディア等による過度な報道から生じる経済的被害であり、一種の「社会現象」です。
しかし、消費者やマスメディアが騒いでお米が売れないという事態が起きているわけではありません。
「イノシシに入られた田んぼの米は臭いがついて売れない」ということを「風評被害」と定義して騒いでいるのはお二人です(私は「におい」につては触れていないのですね。その理由は述べました)。
ここで二人の会話をそっとしておけばいいのですが、まとめで取り上げることで、本当に、あたかも、そのような風評被害があり、消費者がお米を買おうとしないかのような印象をネット民に与えてしまっています。

本当に「風評被害」になってしまっているという。
ここでは俗に言うマスゴミみたいな役回りを桔梗さんが演じてしまっているのです。
「猪のにおい」に科学的な根拠はありません。しかし、お二人の議論の進め方には問題を感じます。
まず第一に「風評被害」の定義がおかしい。
第二にこれは断定は出来ませんが、まあ、どうも科学的根拠を理由に人を軽んじているように読めます。
もし桔梗さんが話題を取り上げるなら、少なくとも「風評被害」とか「敵」とか「地域や農協のエラい人」といった話からは切り離して、それだけを淡々と述べているちゃんとした専門家の解説が相応しいのではないでしょうか。
(※意図は判りますが、素材が粗悪という指摘です。逆に「風評被害」として広めてしまっている)

あと、前々から気になっていたのですが、桔梗さんがこうして人の言葉をかりて「まとめ」を作るのも立派な「発言」であり「表現」だと言えます。自分では発言していませんが、これも「表現行為」です。
その精神には感服いたしますが、桔梗さんは自分では他者に向けて批判したり表現する一方で、他者による自分への発言、批判は受け付けようとしません。
これは表現者として「卑怯な態度」だと言えないでしょうか。
私がこうして時間を割いて自分の意見を述べているのも、自分の発言に対して他者の反論を許しているからだし、自分のしたことには一定の責任を持たねばならないと思うからです。
自分の発言、表現に責任が持てない、他者からの批判を受けたくないのであれば、筆を折るべきではないでしょうか。

以上です。ご拝読ありがとうございました。

(了)

※この記事は削除されます。まあ、理由は「猪のにおい」については様々な理由が想定され、それをあまり人に言いたくない。そっとしておきたい感じがするからです。
※お三方は記事を読みましたら、リアクション頂ければ幸いです。

終末

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