仏の顔は何度まで?

珍しく一つのことを三日も続けている。

大体のことは二日で終わる。飽きる。

続けていても意味が無いなと、感じる。

一つの行動に意味を求めても無意味だと分かりつつも

その無意味さを追い求めてしまう。暇人だ。

日本人は基本的に平和ボケしている。

戦争の「せ」の字も知らない小生も当然の如く

生まれたその瞬間から平和ボケしている。

そもそも「平和」ではない時間を過ごした事がないが故

「ボケ」もなにもなく「平和」が当然だ。

立派なヒモ男として優雅に引き籠り生活していた頃

水と生物の腐った匂いや小動物の排泄物臭漂う不快な道、

新芝川沿いを散歩するという毎日のオンリーイベントを開催していた。

半年ほど続いた健康的散歩イベント。

あるクリスマス直前の日、散歩イベントから帰宅すると

荷物が玄関の前に置かれているというなんともいえない日があった。

持金二千円也。

しかしここは平和大国日本。あれから二年半。結婚目前である。

青い空に青い海。湿度と太陽の光に感情を向けれるほど

心に余裕を持って生活できるまでに復活している小生。

小生を殺しかけたあの卑猥で性欲の塊のような雌パトロンは

元気に生活しているだろうか。

当時は腸が煮えくり返すほどの想いであったが

現在では感謝の気持ちを持てるまでに成長でした。

これも全ては雌パトロンのおかげである。

何度でも何度でも許し認め感謝する気持ちを忘れずに

誰に対しても仏の顔を何度も見せてあげたいものだ。

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