からだ手帖 11月
障子の埃が目につく歳
ここ数年で、本を読む体力が落ちたように思う。
読みたい本は次々見つけて、ポチリと買ってしまうのだが、中々最後まで読めない。
原因は、結論からいうと、トシだ。
だが、年齢とともに、視力や記憶力、理解力のような知的機能が低下する、といった単純なものでは、無かった。
これが老眼?と思った最初は、明るいリビングで字が滲んで読めなかった時。
それまでは、夕方や夜寝る前の少しの時間でも、本を読んでいた。ベッドサイドテーブルの明かりをつけて、隣の子どもが起きないように注意しながら。
でも、ぼやける。
暗いからかな?と思い、寝室を出てリビングの明かりをつけてみた。が。
近づけても遠ざけても、字が滲んで、読めない。字が見えても、なんだか頭にスッと入ってこないのだ。
ややこしいのは、昼と夜で違うこと。
昼間や電車に乗っていて読む時はそうでもない。40代のころより、読む速度が遅いぐらいで…。
細かいことを言えば、一度読んですぐ内容が入ってこないから、同じ文を2、3度読む。結果、時間がかかっている。はー(ため息)。
こんな感じで、昼夜の違いなどはあるものの、年齢とともに、老眼になると注意力や記憶力も低下して、全体的に見えなくなった、つまり視力が低下した、と私は考えた。
いやしかし。
見えるようになったものもあるが、それはどう説明するのだろう?
見えるようになったもの。
それは埃である。
小窓のところに溜まった、うっすらとした埃。一箇所見つけると、脱衣所のタオル入れの隅っこや、トイレ前の角、いろんなところの埃が目に入ってくる。
そう、見ようとしているわけではないのに、見えるのだ。
隅の埃というと、昔のコントや昼ドラの、意地悪な姑のことを思い出す。嫁の掃除したあとの部屋へいき、障子の格子を指でなぞって、「〇〇さん!埃が残っているじゃあないの!雑ね!」みたいな場面があった。
母の横で、それをみたときは、「嫁姑ってこわいなあ。嫁いびりか」と小学生ながら思っていた。
だが、五十代に入り、本が読みづらくなった一方で、気がつくと襖の後ろや炊飯器の上や脱衣所の隅を拭いている。
視力は低下したのに、埃には気づくって…。私は意地悪な婆さんになっていくのか?と一瞬心配になった。
字が見えにくいのに、うっすら溜まった埃はめっちゃ見えるてどういうこと?
視力じゃないのか?老眼。
調べてみると、眼科の検査法(ランドルト環を使ったもの)では、目の見え方全てが測れるわけでは無いらしい。老眼は、ピントを合わせる調節力の低下なので、必ずしも視力は低下していない、とあった。
だいぶ前、忘れることも、一つの能力、みたいな話があった。老人力、という言葉だったか。そこに通じるものも、あるのかもしれない。
年取ると見えてくるもの。
色々深まっていきそうなお題ではあるが、取り敢えず私は、隅の埃が見える歳になったんだな、とじんわり思う。