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AIとベーシックインカム

今回は、人工知能とベーシックインカムについて述べようと思う。専門的な知識は皆無に等しく、非常に単純な論理のもと話を進めていくこと、ご了承いただきたい。あくまでこの文章で伝えたいことは、「恐れ」をベースとした言動をする必要はないということであり、AIの導入による技術的破壊を恐れて行動する者に向けた、僕なりのメッセージである。

はじめにAIの開発と導入は、より世の中を便利にするという動機とは別に、人間へのより深い理解と科学技術の進歩に対する興味そのものをきっかけとしている。すなわち、人間の思考と行動を構造的に解明する試みと、その人間が現代の科学技術をもってしてどれほどのものを開発できるのかということへの好奇心である。したがって、それが良い影響と悪い影響の両方を社会に与えうることは容易に想像がつく。

社会はこれまで同様に、科学技術が何かしらの便益を発生させるのであれば、当然ながらそれを導入するだろう。その時、我々はそれによって経済構造がどのように変化するのかということを考慮する必要がある。短絡的な論理のもと、AIに仕事を奪われると結論付けるべきではない。

人間の単純労働の諸要素がAIに取って代わる社会は、その経済合理性のもと格差が拡大することは目に見えている。その格差を是正することが、政府の役割の一つである。少子高齢化に伴い、年金制度が成立しなくなることも一要因として、これからの時代においては社会保障制度を一新し、新たな仕組みとしてベーシックインカムの必要性が議論されている。

経済がより効率化され、全体としての富は増大し(現代において未だGDPという指標が扱われその数値で議論されることに疑問を感じるが)、それが万人に分配される。そのような社会の到来を想像できるまでに人類の技術が進歩したことは称賛に値する。

AI技術の導入が人間の単純労働のすべてに替わることはないだろう。所々で、人間の思考と行動を必要とする。しかし少なくとも人間は、苦痛としての労働からは多少なりとも解放される時代を歩むことになるのではないか。

何かが無くなるということは、同時に何かが生み出されているということ。それが進化と退化、進歩と後退に見られる二面性である。それが何なのかはわからないが、様々な形で我々はその恩恵を受けるだろう。そして、社会という枠組みで生きる以上は、我々の生活を根本的に変化させうる諸制度の導入に関心を持つことが大切だ。

2021年6月1日

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