学生スポーツの中止に思う

新型コロナウイルスの影響で高体連の主催する春開催の各種競技が軒並み中止との報道を知り、仕方ないことだなと思う一方で私自身が高校生だった時のことをふと思い出してしまいました。



高校2年生の全国選抜大会で出場が決まっていた我々は
3月下旬に地元・岩手県で開催される予定の晴れ舞台に向けて新チームスタートの9月頃から厳しいトレーニングを行なっていました。
地元で全国大会が開催される喜びというのは、アスリートならずともその喜びは容易に想像できると思います。
地元の大声援を受け、慣れた環境でストレスなくプレーできることは何よりです。

そんな日々が流れる中、2011年3月11日はいつもと変わらない1日であるはずでした。

全国大会の最終調整に入っていたチームは、11日の夜に富山県に移動し、北陸高校との練習試合・合宿を予定していました。

午前の練習を終え遠征準備のため各自、家に戻り夕方に学校集合のスケジュールだったと記憶しています。

私も家で荷造りをしている中。14時46分は訪れました。
今まで体験したことのない揺れが襲い、本能的に「ヤバい」と感じました。
電信柱は木の枝のように揺れ、コンクリートの地面が割れて、食器棚が倒れ食器は散乱。 
今まで感じたことのない「死」への恐怖を感じて、裸足のまま外に飛び出しました。

家は内陸部だったため津波等の被害はありませんでしたが、停電したまま街は止まってしまいました。

その後、心から楽しみにしていたセンバツは当然に中止。
残念ながら代替の大会もありませんでした。
怒り・悲しみ・無力感といった様々な感情が胸に去来しましたが、ぶつける相手もなくただ飲み込むことしか出来なかった日々。

あの時と同じような感情が今の高校生にもあるんじゃないかなと思ってしまします。

もし、この記事を読んでくれている学生アスリートがいたら

「無駄な時間は1つもない」ということを伝えたいです。

もし、この記事を読んでくれている学生アスリートがいたら「無駄な時間は1つもない」ということを伝えたいです。

正直、毎日毎日辛い練習をしていると、全国で勝つためにという目標は頭でわかっていても投げ出したくなる気持ちは誰にでもあると思います。

キツければ逃げ出したくなります。
人間だから、感情があるから当然だと私は思います。

しかしこういった今のような社会の状況だと、競技から離れて家で過ごす時間が増えている中で、
「あー。動きたいなー」という感情が少しづつ湧き上がってくることがありました。

少し俯瞰で自分のことを見つめ直すことは、日々の忙しさの中では意識したくても中々できることではありません。

そんな中、このような状況だからこそ映像や新たな練習メニュー。プロのプレーや筋肉や運動に関する勉強など、インプットの時間を多く撮れるはずです。

ぜひ少しでも、見つめ直す機械になってくれたら嬉しいです。

少しでもあたりまえの日々が早く戻ってきますように。

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