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Bloom where God Has Planted You
Bloom where God has planed you
ブログのタイトルである言葉。
「置かれた場所で咲きなさい」(神が植えた場所で咲きなさい)
という意味。
走り始めた、というよりも走る「ことしか」選択の余地がなかった自身の環境。厳しく、辛い現実を忘れ、いわば「逃避」させてくれるものとして「走る」という行為を始めた。この「思い詰めた」、「現実逃避」している自分を救ってくれたのがこの言葉。どんな環境に置かれても、前向きに生きていくことを忘れないようにブログのタイトルとして掲げ、日々心に刻みつけている。
これは、岡山のノートルダム清心学園理事長の渡辺和子先生の言葉。出会いは(といっても実際にお会いしたことはないが)、娘の通う小学校の校長先生の話から。小学校受験の際、何度も学校説明会に通い校長先生のお話を聞く。先生が引用される渡辺先生の言葉が必ず胸を突き刺し、じっと耐えてこらえていたものが自然に溢れ出す。心の琴線に触れる言葉だ。
経緯は定かではない。校長先生の引用か、本の紹介か、胸を突き刺すこの言葉に出会った。この言葉に秘められた教えは、
「どんなところに置かれても花を咲かせる心を持ち続ける」*1
すなわち
「境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。「現在」というかけがえのない時間を精一杯生きよう」*2
ということ。
咲くということは、
「仕方がないとあきらめることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明すること」*3
という。
「時間の使い方は、そのままいのちの使い方」*4。だから「咲いてほしい」と渡辺先生の願い。
それでもどうしても咲けない時がある。
「そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。」*5
「走る」という行為は、走り始める理由は、千差万別、いろいろなところに「置かれて」いる。「走る」という行為が、いや「走り切った」という結果、そのプロセスを含めて、他人にはわからない特別な「意味」を持ち、その達成感は人それぞれが抱く「咲く」ということと相通じている気がする。
私の置かれた場所はここでしかない。この場所が与えられた場所であるならば、この場所でも立派に咲ける証を見せたい。いまは走ることだけだが、この場所でいろいろな花が咲くと信じている。この場所を色とりどりの花で埋め尽くしたい。
この教えを、想いを忘れぬようブログのタイトルとして日々自分に刻み込んでいるのである。
註) *1 渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎, 2012年, 15頁.
*2 同上, 15頁.
*3 同上, 12頁.
*4 同上, 13頁.
*5 同上, 13頁.
※初出 2013年3月14日
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