【初稿】第一回ショートショート落語『猫の死にざま』作・堀真潮 演・三遊亭遊七


 数か月ぶりにじいさんの家に行った。
 家族が仕事や学校で居ない間、じいさんは一人縁側に座っている。
 俺は、じいさんの家族が仕事や学校で居ない時にしか、この家には来ない。
 一度、孫だという女の子二人に「猫ちゃん猫ちゃん」と追い回された事があるからだ。
 猫だからわかりにくいとは思うが、俺だって本当はじいさんと同じくらい年寄りだ。
 追いかけまわされるのはともかく、ちゃん付けで呼ばれるのは辛い。
「よお、じいさん」
 俺が声を掛けると、じいさんも「ノラ公かい、久しぶりだね」と言った。
 じいさんは、猫の俺が人間の言葉を話しても驚かない。長い人生の間には、もっと信じられないような出来事のたくさんあって、それに比べたら「猫が人語を話す」なんて、大したことではないのだそうだ。
 俺は縁側の下に座って言った。
「あんたに相談したいことがある」
 すると、じいさんは読んでいた本を置いて「ほう」と身を乗り出して来た。
「お前さんが相談事とは珍しいね。一体何を悩んでいるのかい?」
「俺の死に方についてだ」
「縁起でもない」
「真面目な話だ。いいか、よく聞いてくれ。いつも本を読んでいる、物知りのあんたなら知っているだろう。猫は九つの命を持っている」
「ただの言い伝えじゃなかったのかい」
「本当だ。そして、俺はこの間八つ目の命を使ってしまった。残りは一つだ。本当の最期くらい納得のできる死に方をしたい。それで、その相談に来た」
「最近姿を見ないと思っていたら、死んでいたのか?」
「ああ、病気だ。医者に掛かってないから詳しい事はわからないが、どうやら腎臓をやられたらしい」
「そうかい。それは辛かっただろう」
「まったくだ。大体これまでの死にざまもロクなもんじゃあない」
 俺はじいさんに、これまでの死因を説明した。

 一度目は生まれてすぐだ。
 母親も野良猫で、俺が産まれたのは河原の草むらの中だ。守ってくれるものは、何も無い。母親猫が餌を漁りに行っている隙に、赤ん坊だった俺はカラスに襲われて、ビューンと空に連れて行かれた。そりゃあ眺めが良かったね。そこで大人しくしてりゃあ良かったのに、俺も子猫だったから、ついはしゃいじまったのよ。そしたら烏の掴んでいた爪が外れてぴゅーッと……。
 二度目はそれからすぐだ。復活したのは良いけれど、まだ可愛かった頃なもんで生活力が無く、餌を見つける事も下手で、いつも腹を空かせてた。そんな時に、誰が残したのか弁当の中にイカリングを見つけた。久しぶりのごちそうに俺は夢中でかぶりついたら、まさかのオニオンリングさ。いや、参ったね。
 三度目は、俺がようやく野良猫として一人前になった頃だ。町には猫捕りが横行していた。猫をとっ捕まえて三味線の材料にするってあれさ。へっぽこな猫捕りなんざ、俺の敵じゃねえ。むしろからかってやっていた。そうしたら現れたのさ。伝説の猫捕りが。通称毒蛇のサル! え? 蛇なのか猿なのかはっきりしろって? 細かいことはいいじゃねぇか。結果はまあ、俺は三味線になった。さすが伝説の猫捕り。
 四度目は喧嘩した時の怪我が原因だ。当時の俺にはミーコって惚れた雌猫がいた。だが、この辺りのボス猫もミーコを狙っていた。ガチのタイマン勝負だ。俺達の戦いは三日三晩続いた。この喧嘩には勝った。ミーコとなわばりは俺のものになったけど、翌日には受けた傷が化膿してそれきりだ。
 五度目は交通事故。よくある話さ。道路の真ん中で晒しものになっていた俺を、近くの中学の生徒が邪魔にならない街路樹の下に連れて行ってくれたっけ。優しい人間もいるんだなって思ったな。
 六度目は、マタタビの食い過ぎ。ゆっくり食えばいいものを、久しぶりだったもんだから、ついがっついちまった。でも若い頃はあのくらい余裕だったんだけどなぁ。年取ったなと思ったね。
 更に自分の老いを自覚したのは、七度目に死んだ時だ。塀から飛び降り損なって、怪我をした。自分であり得ねぇって思ったね。だって、猫が、この俺様が着地に失敗して怪我なんて、冗談じゃあない。それにしても、野良の怪我はダメだ。誰も手当してくれないからな。
 そして最後が病気。死ぬ間際、老猫にはよくある病気って言葉が聞こえて、目の前が真っ暗になった。
 これまで八ツの俺の死にざまは、どれもこれもパッとしねぇ。

「だからさいごの最期くらいはビシッと決めたいのさ」
「ビシっと決めたいっていうのは、どういう感じで?」
「そうだな。バトル漫画の名場面に選ばれるような感じで」
「名場面というと、派手なバトルシーンが続いた後に、一呼吸置いて敵にやられたことがわかって、見開きで名台詞。愛してくれて、ありがとうみたいな感じか?」
「そこまで具体的に言われるとあれだが、まあ、そんな感じだ。仲間を守るとか、すごい敵に向かうとか、そういう死にざまは憧れるな」
「ふん。じゃあまず敵は誰にする?」
「敵?」
「戦って散るなら敵が必要だろう。ここには呪霊も、鬼も、悪魔もいないぞ。どうする?」
「どうするも何も、そんなもんが相手だと俺じゃ瞬殺で、名場面どころかただのモブだ」
「じゃあ、具体的な敵で、ちょっと弱めなところだと、角の家のショコラとかどうだ?」
「弱すぎだよ。トイプードル相手じゃ俺の方が悪役になっちまう」
「じゃあ田中さんちのペットのポール」
「ニシキヘビじゃねえか。食われちまう。それに俺はマングースじゃなくて猫だ」
「文句が多いねぇ。仕方がない、敵を決めるのは後回しだ。名台詞を先に考えよう」
「名台詞、名台詞……思い浮かばないな」
「諦めたらそこで試合終了ですよ」
「考えてるだけだから。諦めてないから」
 その後も恰好いい死にざまを決めるべく一生懸命考えたが、どうにも良いアイデアは浮かばない。俺は疲れてしまった。
 それに気づいたのか、じいさんは俺を抱き上げると膝の上に乗せた。
 じいさんの膝は痩せていて固く、お世辞にも寝心地が良いとは言えなかったけれど、人の温もりと背を撫でる手の気持ち良さに、俺はじっとしていた。
「お前も、生まれてからずっと苦労していたんだなぁ」
 じいさんは言った。
「どうだい。誰かに撫でられながら穏やかに死んでいくってのは。確かに恰好良くはないが、悪いもんじゃないだろう」
 ああ、確かに悪くないと俺は思った。
 生まれてこのかた、どこにいても心安らぐ事はなかった。
 ここだけだ。このじいさんのいる縁側だけが唯一安心できる場所だった。
「じいさんが看取ってくれるのか?」
「ああ、看取ってやるよ」
 爺さんの手は、同じ調子で背を撫でている。
「こんなに静かな気持ちになったのは初めてだ。なんだか眠くなって来たよ」
「そうかい。ゆっくりお休み」
 九つ目の命が静かに燃え尽きようとしているのがわかった。
「我が人生に一片の悔いなし……」
 静かに目を閉じながら、納得のいく死にざまだと思った。

「おかあさーん。猫がいる」
 夕方、帰って来た二人の娘が、縁側に置いた座布団の上で丸まって冷たくなっている猫を見つけた。
「死んでる」
「寝てるみたい」
「これ、時々庭に来てた猫だ」
「おじいちゃんが可愛がってた」
 母親は騒ぐ娘たちを嗜めると言った。
「だから、先月亡くなったおじいちゃん愛用の座布団の上で死んだのかしら」
 そう言うと、母親と娘たちは猫の為にそっと手を合わせた。
                                    〈了〉

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