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別府というまち -よどみあう、まざりあう、そこにはもう一度、何かがある-

わたしが生まれた大分県の別府市という町は、温泉がたくさん湧いていて、町のあちこちで湯煙がたちのぼっている。
あと、それから、坂が多い。方角は東西南北よりも、「上」とか「下」をよく使う。
海がある方が下で、山がある方が上だ。

中学、高校生の頃、10号線沿いの港町にある実家から、徒歩でひたすら坂を上って山の方面へと向かっていく行きの通学路を疎ましく思っていたけれど、
帰り道にそれは逆に海へと続く一本の下り坂となり、割と嫌いではなかった。

別府にはなにもない。
高校時代(7〜8年前)、となりの大分市には、トキハも、フォーラスも、古着屋も、(今はなき)パルコもあった。
私の青春は、雑誌に載っている洋服を、祖母からもらうお小遣いで大分市まで買いに行くこと、隣町にしかない店のショッパーをサブバッグにして学校に持っていくこと、に主に捧げられた。
なんでもある町おおいたへ、別府国際観光港から乗るバスとJRを乗り継いで、せっせと買いに行った。
(アナスイの化粧品の香りに憧れたけど、化粧品は近所のコスモスでこっそり買った)

大学に進学して、福岡に引っ越したら、福岡市は大分市の何倍も都会で、きらめいていた。参った。
時折帰省する別府には、中学や高校の同級生と家族以外、なにもなかった。
相変わらず坂が多く、鉄輪のあたりはおなじみの硫黄のにおいがした。古めかしい町だとおもった。

帰省する度にトキハ別府店からテナントが消えていく一方、その近くにある別府ゆめタウンは周辺の港や街並みに不釣合いにデカく、よそよそしい感じがした(でもフードコートから見える海は好きだ)。
商店街は静かで、やよい天狗みこしの山車だけが何かを待ち構えているように佇んでいた。

旅行で訪れた湯布院、湯の坪街道にはおしゃれめいたお店があちこちにあり、人であふれ、まばゆかった。金賞コロッケもPロールもテオムラタのチョコレートも、金鱗湖もシャガールも最高だ。
それに引き換え別府は…。レトロというと聞こえはいいけどさあ…。などと正直思っていた。
学生のころまで。

現在の私はというと、就職して地元に帰ってきて早3年が経ち、かつてのあこがれの町おおいたの一等地に住んでいるわけなのだけど、
就職してから数年のうちに地元別府の魅力を再発見する機会が多々あり、日々別府愛が増す一方なのである。

恐らくそのはじまりは、社会人1年目のときに初めて行った、別府駅からほど近くにある餃子の店「湖月」である。

餃子の湖月は、別府冷麺の胡月(漢字が違う)と同じくらい、旅行雑誌などで取り上げられている有名店だけれど、学生時代の私はそんなことすら知らなかった。
なぜなら別府市民は別府の旅行雑誌を読む機会がそうないからである。
灯台もと暗し。
けれど、何かの雑誌でたまたま知った、ビールと餃子しかないというその店の潔さに、とてつもなく惹かれた。

これから大分県で働くからにはまずは自分の地元をよく知るべしとの決意のもと、ひとりiphoneと対峙しながら、グーグルマップを頼りに、入り込んだことのない商店街の脇の狭い路地をさまよったあの日の経験は今でも鮮明に思い出すことができる。餃子とビールは格別においしかった。

しかし、その日何よりも印象に残ったのは、湖月にたどり着くまでの道のりである。
iPhone片手にちょろちょろと動いた別府の路地裏には、私の知りえない、ずうっと昔からそこに根付いているあらゆる文化および人々の暮らしおよび猫、が道のいたるところにあふれていた。それは確実に私の「知らない別府」の世界だった。

その時、私ははじめて、別府にはなにもないと思っていた自分の無知を猛烈に恥じた。
なにもないのではない。私がなにも知らなかったのだ。

留学生を多く擁する立命館アジア太平洋大学(APU)があるおかげで人種も様々な別府のまちには、温泉と同じように、いろんな温度差のひとがいる。

温泉というところでひとつ話をすると、私の実家はガスで沸かすふつうのお風呂に入っており、市営の温泉に入りに行くこともなかった。

だから、別府温泉で湯船から直接お湯をとるというスタイルがあることも社会人になってから知り、市営の不老泉に初めて行ったときには、シャワーのお湯を使わずに、自然に浴槽の回りに座って湯船からお湯を汲んでいる住民の人たちの姿に軽いカルチャーショックを受けたりもした。

多様な文化という言葉を使えば、さも日本と外国の間にある文化の違いのような印象を受けるけれど、同じ別府市民の間ですらその暮らし方の違いに驚かされることもある。
けれど、違うからといって、その生き方のどれもに正解、不正解はない。
色々な人が色々なやりかたで好きに暮らしていて、それをお互いが自然と受け入れている。
すべての生活がそれぞれに事実であり、それを知っていても知らなくても、個々が生活するにおいて特に支障はない。
無知であることは、別府という町から見れば、別にどうってことはないのだろう。
むしろ無知であることすら受け入れてしまう懐の深さが、この町にはあるように思う。
それが心地いい。

それでも、やはり知れば知るほど面白い、別府という町をふるさとに持ち、わたしは誇らしい気持ちです。
離れてみてからでないと、気づかないことも多くあるという話でした。おわり。

※現在別府では、「混浴温泉世界」というアートイベントをやっていて、アート作品を鑑賞しながら上に述べたような街歩きも楽しめるプログラムがあります。ナイトダンスツアー、アートゲートクルーズ、おすすめです。(要予約)
この記事のトップ写真は、アートゲートクルーズの道中で撮影したものです。

混浴温泉世界 
http://mixedbathingworld.com/

その他、記事に出てきたいろいろ

※湖月(ぎょうざ)
http://tabelog.com/oita/A4402/A440202/44000056/dtlrvwlst/6448121/

※不老泉
https://www.city.beppu.oita.jp/01onsen/02shiei/05furousen/frowsen.html

※やよい天狗みこし(みこしの裏側はちょっといやらしい)
http://daizukan9.blog63.fc2.com/blog-entry-1085.html

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