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箱崎ノスタルジック

先週の週末、大学のサークルの先輩の結婚式に出席する機会があって、久しぶりに福岡に行った。

かつて学び舎だった九州大学の箱崎キャンパスは、伊都への移転に伴って次々と施設が閉館したり、建物の取り壊しが進んでいる。この秋にはついに、文系キャンパスも伊都に移転してしまう。
大学の友人達がその様子をSNSで知らせるたび、福岡から遠く離れた場所で、早く行かなければ、あの景色をもう一度目に焼き付けておかなければと、もどかしさと使命感に駆られていた。
少し早めに福岡に着いて、当時の同期達と箱崎キャンパスを歩いて回った。

思い返せば、私はきわめてふつうに大学に入学して、可もなく不可もなくぬるりと卒業したような実感がある。
講義はそこそこ真面目に受けていたし、成績もそこそこ、卒論もそこそこ、就活も、バイトも、恋愛もそこそこ。突出したようなエピソードは何もない。
生活の一番真ん中にあったのは、多くの時間を過ごした、Be-ROCKという軽音サークルの一員としての自分。

サークルの部室に入らせてもらったら、当時組んでいたバンドで出ていたライブのフライヤーがドアに貼られたままになっていた

大学生活の4年間は風のようだったと思う。
シラバスのあいま、自らコーディネイトした時間割には、確かたくさんの余白があった。普通に単位を取っていれば、1日講義を受けなくてもいい日もあった。あれだけ膨大にあったように思えた時間は、どこに溶けていってしまったのだろう。
今同じように、労働の隙間に、あの「空きコマ」ぶんの時間を与えられたなら、私はどのようにその時間を消費しているだろうかと思う。幻のような平日の空白の使い方を、今ではもうあまりよく思い出せない。だらだらとつまらない思考をしていたような気もする。

大学は不思議な場所だとも思う。敷地内に入るという意味では、誰でも存外するりと入れてしまうのに、そこにはどこか閉鎖的な雰囲気がある。
現在進行形で大学に所属している学生や教授にしか共有しえない、学問をはじめとした生活の営みのようなものは、すでに卒業してしまって久しい自分には、とても濃厚でひそやかですこし排他的に映る。
(ちょうど大学が夏休みの時期に訪問して、もう箱崎には誰も残っていないと思っていたら、意外と同窓会のようなものを開いている研究室がいくつかあって、まだ人の気配があった。
知っている顔は、ひとつもなかった)

最近、移転に伴う退去を迫られたあとも研究室に残り続けていた卒業生の男性がキャンパス内で自殺(焼死体で発見)したというニュースを見たけれど、なんとも言えない後味の悪さとともに、人ひとりの人生に刻み込まれた大学という機関の闇や混沌の側面を垣間見た気がして、その衝撃をまだ引きずっている。

こんなちっぽけな私でさえ数えきれない思い出があるというのに、この大学という場所は、いったいどれだけの人達の人生の一場面を担ってきたのだろうと思うとくらくらする。


形あるものはいつかなくなるし、これからの人生で何度となく、こうしたシンボリックなハードの喪失に出くわすことは、避けられない出来事だと理解しているつもりでいる。
それでも失うには、大学生の頃の思い出は、卒業して数年が経った今もまだ美しく鮮やかすぎて、もうこの光景が見ることができなくなるのだと思うと、ただただ寂しい。

それでも、あの日あの時、同じ時間を過ごした友人たちに時折会うたびに、忘れがたい背景として、何度だって蘇る。

飛行機が轟音で上空を通り過ぎていった講義室。
よく理解できない文献に必死でしがみついていた研究室。
当時付き合っていた人と一日中こもって試験勉強をしていた図書館。
バンド練習で使っていた部室に、月一でライブをしていた貝塚共用施設。
サークルのバーベキューで夜な夜な語り明かしたカルカフェの池。


あの時間だけは、全部、真だった、と今でも確かに思うのだ。
多分今よりももっと不器用で、無知で、それゆえに一生懸命だった。

箱崎キャンパス、ありがとう。さようなら。

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